2024/12/29
12月第五主日、今日は年末感謝礼拝を献げました。礼拝メッセージはルカ2章21~38節、シメオンとアンナの信仰から御言葉を心に留めました。イエスがお生まれになった時代、ユダヤはローマ帝国の圧制によって厳しい生活を送っていました。しかも、預言者マラキ以降、約400年にも渡って神の預言は与えられていませんでした。それで大多数の者は形だけの信仰となり、救い主を待ち望まなくなっていたのですが、そんな時代にも敬虔な人たちはいました。それがシメオンとアンナです。二人に共通するのは、世の人々がどんな価値観を持って生きていたとしても、不条理に思う試練に遭い、神への信仰が折れかかったとしても、愚直に主の約束が実現するのを待ち望んでいたことです。神は、大勢の人々が行き交う中で、そんなだれも目を留めないような老人に、もはや何の希望もないような老婆に、最初に救い主をその腕に抱き、その恵みを伝える特権をお与えになったのです。私たちの信仰生活も時に「主よ、いつまでですか…なぜですか…」と思うことはあっても、それでも私はあなたを信頼します、約束を待ち望みますという信仰をもって歩んでいこうではありませんか。
2024/12/28
冬の青空が広がる中、ザ・ガーデンオリエンタルで結婚式がありました。コロナ禍に出会ったお二人はしっかり愛を育んで、今日という日を迎えました。結婚は、静かに流れる二つの川が一つの大きな川になることに譬えられます。川が合流するところでは波が起こり、渦ができ、速さが変わります。でも、暫くすると静かな深い大きな川になります。どうか今日の誓約をいつも思い出して、二人で助け合い、補い合って幸いな家庭を築いていけますように。
2024/12/26
教会のデボーションはテトス2章から。私たちの地上の生涯には、遅かれ早かれ必ず終わりが訪れます。でも、多くの人は死から目を背け、目先のことしか見ようとしないでしょう。人生の終わりは創造主との新しい関係の始まりです。そこには祝福と呪いのどちらかが待ち構えています。そのことを弁えて、自分がこの世を去る日について考えることのできる人は幸いです。その日私たちは地上に蓄えた物を何一つ御国に持っていくことはできないのですから。
2024/12/25
澄んだ夜空に星の瞬きを感じながら、2024年のキャンドルサービスがありました。昨年は講壇にアクリル板がありましたが、今年はそれも外され、会堂にも大勢の方が来会し、みことばと賛美をもってキリストのご降誕を辿りました。救い主は王宮でも大邸宅でもなく、暗く貧しい家畜小屋の飼葉桶にお生まれになりました。惨めで、哀れな誕生です。でも、御使いは「それが、あながたのためのしるしです。」と告げたのです。今年は元旦の能登半島地震に始まり、その後も度重なる地震、台風、豪雨による被害があり、政治とカネの問題から政治不信が続き、クリスチャンの総理大臣が誕生しました。国内はもとより海外に目を向けても、罪と争いと悲しみは絶えませんでした。でも、光は闇が深くなればなるほどに輝きを増すものです。星の輝きが東方の博士たちを何千キロもの道のりを迷わずに救い主のもとに導いたように、この時代、聖書のみことばが私たちを救い主のもとに導いてくれます。今年は二人のバイオリン演奏に、さらにフルートとバスクラが加わってさらに豊かな賛美となりました。最後はローソクの火を灯しながら、祈りつつ『きよしこの夜』を賛美しました。
2024/12/23
12月第四主日、今日はクリスマス特別礼拝を献げました。メッセージはルカ2章から『クリスマスの最高の奇跡』というテーマでみことばを心に留めました。人類史上最も偉大な方、まことの救い主である方は、貧しい家畜小屋の飼葉桶にお生まれになりました。この飼葉桶は苦難や悲しみの象徴です。キリストは神としてのすべての栄光をかなぐり捨てて、そのただ中に来てくださったのです。それは歴史を二分するほどの出来事とは思えない…実に静寂な夜でした。神はこの方のご降誕の中に、すでに全人類に対するメッセージを告げておられたのです。その知らせは野宿をしながら羊の群れの夜番をしていた羊飼いたちに真先に告げられました。彼らもまた、マリアやヨセフと同じく、戸惑いつつも御使いの知らせをそのまま信じて、この出来事を見届けて来ようと出かけて行き、神のしるしを目の当たりにしたのです。この時期、教会でこのメッセージが聞けるのは本当に幸いなことです。たとえ100年の齢を神に許されていたとしても、あと100回を数えることのできないクリスマス…その一回を、今年、この時、この場で、ならではの思いで、仕方で、一緒にお祝いしませんか。
2024/12/21
預言者ミカは嘆かずにはいられませんでした。ずっと手入れをしてきた果樹園が荒らされて、実を見ることができない時のよう…神の前に敬虔な人がいない、心の直ぐな人がいないとは、そうした状態だというのです。その当然の結果として刑罰の日がくる。神は侮られる方ではない。人は種を蒔けばその刈り取りもしなければならない。そんな絶望的状況の中でミカは祈ります。「しかし、私は主を仰ぎ見、私の救いの神を待ち望む。私の神は私の願いを聞いてくださる。」目の前の現実だけを見ていたら、希望の光は見えてこないでしょう。でも、主を仰ぎ見るとき、そこで私たちの祈りを待っておられる方がいることに気づかされていきます。裁きの言葉は神がまだこの世を見放していない証しです。「あなたがエジプトの地から出た日のように、わたしは奇しいわざを彼らに見せる。」試練も神の計画の一部。私たちが悔い改める(人生の方向転換をする)とき、神は嫌々赦すのではなく、喜んで赦してくださいます。そこで神と出会い、神に祈り求め、神の赦しと贖いにあずかる道があるのです。飼葉桶の幼子は、クリスマスがその最もよい機会であることを示しているのです。
2024/12/18
昨日は12月の『旧約聖書の学び会』がありました。小さな学び会ですが、いつもお二人の方が必ず出席してくださって一緒に御言葉の恵みを味わっています。牧師としてそれは本当に有難いことだなと感謝しています。「二人か三人がわたしの名において集まっているところには、わたしもその中にいるのです。」イエスさまの臨在を感じながら、同じ祝福にあずかっている幸いを思いました。もちろんオンラインでご視聴くださる方々にも本当に励まされています。どうぞ来年も学び会にご参加いただけましたら幸いです。また、今日は2024年最後の水曜祈祷会がありました。ミカ書5章から『主の大逆転を待つ』というテーマで御言葉を心に留めました。私が一番心に残ったのは「ベツレヘム・エフラテよ」です。メシアの出現は南ユダの首都エルサレムではなく、地図にも載らないよう寒村ベツレヘムだと告げられました。そしてその預言通り、約800年の時を経てキリストがお生まれになったのです。あなたの今がどんなに暗くても、神はあなたを忘れたりしません。神はこの世の弱い者…無に等しい者を選ばれる方です。そこに私たちの思いを越えた神のご計画があるのです。
2024/12/16
12月アドベント第三週、いよいよクリスマスが近づいてきました。今日の礼拝メッセージはマタイ1:18-25「インマヌエルの神」がテーマでした。大工のヨセフと婚約関係にあったマリアののもとに、突然主の使いが現れて「あなたは身ごもって男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。」と告げました。マリアは戸惑いつつも信仰をもって受け留めましたが、ヨセフにはまだ何も告げられていませんでした。彼女の胎に赤子が宿ったことが分かると、身に覚えのないヨセフは思い悩んでいきます。穏やかな生活が根底から揺さぶられるような苦悶の日々だったでしょう。神はそんな彼の夢の中に御使いを送り、「ダビデの子ヨセフよ、恐れずにマリアを妻として迎えなさい。」と告げられました。ヨセフもまたこの常識では考えられない状況を信仰をもって受け入れていったのです。大きな重荷を背負わされた若い夫婦にとってインマヌエルの約束は何よりも心の支えとなったことでしょう。それは私たちの信仰生活も同じです。今日は午後からキッズ&ファミリークリスマスがありました。子どもたちの降誕劇も可愛かったです。賑やかで温かいクリスマス会となりました。
2024/12/14
クリスマス受胎告知と言えばマリアが有名ですが、もう一人の立役者のヨセフを忘れてはいけません。妻マリアの胎に宿ったのが自分の子どもではなく、その子の名さえ自分で決められないという不条理を背負ったヨセフ。思いたくもないマリアに対する疑惑…。誰にも言えない悩みの日々を過ごしたことでしょう。でも、ヨセフはアリアとともに生きる決断をしたのです。このヨセフなくしてマリアもなく、世界で最初のクリスマスの奇跡もなかったのです。
2024/12/12
今日はハートフル英会話秋期コースの最後のクラスでした。大人の方はクッキーハウス作りとプレゼント交換、キッズクラスはオリジナルクラフトをしました。どちらもクリスチャンの講師ならではのアイディアで本物のクリスマスを楽しみ味わいました。「キリストは富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたがキリストの貧しさによって富む者となるためです。」冬期コースを受付開始。1月16日から開始します。