カテゴリ:2024年上半期



2024/06/29
今日はカトリック教会暦では聖ペテロと聖パウロの祝日とのことです。ペテロとパウロが殉教した正確な日はわかっていませんが、キリスト教史において重要な役割を果した二人であることに間違いはありません。私自身は、もともとは漁師で、無学な普通の人と言われたペテロに共感を覚えますが、厳格な教育を受け、熱心なユダヤ教徒だったパウロの回心の証しにも感銘を受けます。タイプの違う二人ですが、天国から今の時代をどう見ているのでしょう。
2024/06/28
デボーションはⅠサムエル記12章から。私の証人は主である…これほど力強い言葉はありません。私は人生で最初に出会ったクリスチャンの方を泥棒だと思っていました。その人が毎日バイト先のレジから500円を盗んでいると聞いたからです。私はある時『よくないことだよ』と伝えましたが、彼女は何も弁解しませんでした。しばらくして彼女が何も盗んでいなかったことがわかりました。私は彼女に謝りながら、クリスチャンってすごいと思ったのです。
2024/06/27
6月第四水曜祈祷会、強い日差しもなく、曇り空で過ごしやすい一日でした。デボーションはⅠサムエル記10章から。民の願いに応える形で、主はイスラエルに王を立てることを承認されました。そこでスポットが当てられるのがキシュのひとり息子サウルです。「イスラエルの中で彼より美しい者はいなかった」とあるので、立派な風貌だったと思われます。サウルは雌ろばを捜している中でサムエルと出会い、促されるままにイスラエルの君主として油を注がれました。予期せぬ出来事にさぞかし驚いたでしょう。まだ、この頃のサウルは「私はベニヤミン人で、イスラエルの最も小さい部族の出ではありませんか」と言ったり、叔父さんに王位のことを話さなかったり、荷物の間に隠れていたり…とどこか頼りない、自信なさげな姿が見られます。まさにサウルは彼自身の能力ではなく、神に見出され、新しい心を与えられて王となったのでした。ですから、彼に必要だったのは、自分を選び、自分に油を注ぎ、新しい心を与えて王として立ててくださった神さまから目を離さないことだったのです。サウルの選びから、私たちの選びについても、大切なことを教えられました。
2024/06/24
6月第四主日、今日は梅雨らしい湿度の高い一日でした。礼拝メッセージは伝道者の書11章から。「あなたのパンを水の上に投げよ。ずっと後の日になって、あなたはそれを見出す。」有名な御言葉ですが、その意味を理解している人は少ないかもしれません。その一つの解釈はソロモンの海上貿易が背景にあると考えます。行く手に何があろうと、船に荷を積んで、大胆に漕ぎ出していかなくては、利益を得られません。また、風を警戒している人は種を蒔かない、雨雲を見ている人は刈り入れをしない。時を逸し、まさに蒔かない種は生えません。いずれも、心配ごとばかり見ていないで、結果は主に委ねて事を行う大切さを教えています。「朝にあなたの種を蒔け。夕方にも手を休めてはいけない。…若い日にあなたの心を喜ばせよ。」もちろん、何事も思慮深く、祈り心をもって事を行え。急ぎ足の者はつまずくともありますので、アクセルとブレーキを間違えないようにしたいものです。でも、大事なことは、この何が起こるかわからない不確かな時代にあって、何を人生の羅針盤とするかということでしょう。聖書は、私たちを幸いな人生へと導く唯一の神のことばです。
2024/06/22
箕面川の蛍が見頃を迎えました。昨夜の雨で水量の増した川の上を、蛍の群れが幻想的にゆらゆらと飛んでいました。やっと梅雨らしい季節になってきたと思えば、今度は各地の災害が心配です。「人はこれから起こることを知らない。これから後に起こることを…」何もかも不確かな時代だからこそ、人には人生の確かな羅針盤が必要ではないでしょうか。明日の日曜日、お近くの教会にお出かけください。
2024/06/21
梅雨を前に、もうプランターの向日葵が咲き始めました。今日のチャペルタイムでは、レイチェル先生が聖書から「いなくなった一匹の羊」の話しをしてくださいました。教会のディボーションはⅠサムエル記5章から。ペリシテ人はイスラエルを破って、神の箱を奪っていきましたが、この後が大変でした。この先について詳しく学びたい方は、こちらでも話していますので、宜しければお聞きください。
2024/06/20
Ⅰサムエル記3章から。祭司エリのもとで主に仕えていた少年サムエルに、主の語りかけがありました。サムエルは最初それが誰の声かわかりませんでしたが、エリの助言でわかりました。しかもその最初の預言は、エリの家の裁きについてでした。預言者の使命は、神の言葉をそのまま人々に語ることです。エリの「その方は主だ」という言葉が心に残りました。主の前に心砕かれた者でありたいものです。
2024/06/18
教会のデボーションはⅠサムエル記に入りました。1章はハンナの祈りから始まります。「このはしためを忘れず、男の子を下さるなら…」主は彼女を心に留められ、翌年男の子を与えられました。ハンナはその子をサムエルと呼び、「この子を主におゆだねいたします」と主に献げたのです。2章はそんな彼女の賛美が記されています。神は私たちの祈りを聞いていてくださる方であるとともに、ご自身の計画を確実に進めていかれる方であることを思いました。
2024/06/16
6月第三主日、今日も30度を超える蒸し暑い中でしたが、父の日を覚える賛美礼拝を献げました。礼拝メッセージは伝道者の書9章から。善人も悪人もすべての人に同じ結末としての死が臨むこと、でも、生きている者には希望があること、それゆえ神はすでにあなたのわざを喜んでおられることを心に留めました。「空の空」で始まる伝道者の書は、全般的に虚無的・懐疑的な内容で記されています。信仰もって読まなければ、全く意味を読み違えてしまう書物です。ノーベル賞作家のヘミングウェイをはじめ、文豪ゲーテ、名文筆家ルナン、作曲家のブラームスなど多くの文化人が本書から影響を受け、中でも宗教改革者マルティン・ルターは本書を『慰めの書』と呼んだとのこと。ルターが見出した『慰め』とは何だったのでしょう。そう思ってあらためてじっくり読むと、実に励ましと慰めに満ちた言葉が散りばめられているのがわかります。「しかし、人には拠り所がある。…神はすでに、あなたのわざを喜んでおられる。」神を抜きにして考えるなら、この世はいかに「空」であるか、神を信じて歩むことこそ「空」からの脱却があるということを本書は教えているのです。
2024/06/15
最高気温33度まで上がり真夏日となりました。洗濯物はどんどん乾いて助かりますが、少し雨が恋しそうなアジサイです。今週は教会員の夫婦に第一子が与えられました。待ちに待った誕生に、教会全体が喜びに包まれました。思えば彼女が信仰告白に導かれ、洗礼を受け、クリスチャンの男性と知り合って結婚し、出産に導かれるという御霊の導きを見せて頂きました。今後もご家族の祝福を祈っています。

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