教会の近くあるクリスチャンの方が経営されるディサービスに時々手伝いに行っています。今日はお天気も良く「紅葉狩り」にご一緒させて頂きました。もうかれこれ一年が経ちますが、人生の先輩方から学ぶことは多く、病気や体調、戦争体験や家族への思いなど、いつも貴重なお話しを伺います。そして、スタッフの方々の働く姿も「仕える」ことの模範のようです。「あなたは白髪の老人の前では起立し、老人を敬い、またあなたの神を恐れなければならない。」聖書は、年上の先輩を敬うように命じています。それは、やがてだれもがたどる道であるからです。まさに光陰矢の如し…。然れど、今は神が与えたもう「命」を感謝して使わせて頂きたいと思います。
アドベントを前に地域でのトラクト配布を行っています。トラクトにはクリスマス諸集会とハートフル英会話の案内が載っています。ハートフル英会話では、オーストラリヤ人のレイチェル先生が大人クラスを、アメリカ人のホゼア先生がキッズクラスを担当してくださっています。ぜひ無料体験クラスをお試しください。隔週で15分ほどのバイブルメッセージもあります。永遠のベストセラー『聖書』は、生活に役立つ珠玉の言葉で満ちています。明治維新の立役者たち、福沢諭吉、大久保利通、西郷隆盛、勝海舟…他にも数え切れないほど、近代日本の発展に大きく貢献した偉人たちが『聖書』から影響を受け、その人生観を大きく変えていったのです。
水曜祈祷会ではⅡコリント11章から「苦難のしもべの道」というテーマで学びました。教会の中で傍若無人に振る舞う偽使徒たち、それを耐えているコリントの信徒たち。その状況を思い浮かべるパウロの憤りは、いかばかりだったでしょう。ここでは、偽使徒たちの言動とパウロの言動を比べてほしいという堪り兼ねたパウロの本音が垣間見られます。それは単なる苦労話ではなく、キリストに従うゆえの苦難のしもべの道です。「彼らが苦しむときには、いつも主も苦しみ、」いつの時代も、信仰に生きようとするなら世との軋轢はさけられないのかもしれません。でも、そのような中で…私たちも弱さのうちに現れてくださるキリストの力を体験したいものです。
宗教改革者のマルティン・ルターは「私にはあまりにも仕事があり過ぎて、一日三時間は祈らないとやっていけない」と言ったそうです。牧師としては耳の痛い言葉ですが…確かに忙しい時こそ静思の時間が大切です。ある方の「神は御心を決めておられる。それが変えられないなら何のために祈るのですか。」との質問を思い出しました。大きな課題と向き合っているからこその言葉でした。その答えとなるかはわかりませんが、キルケゴールはこう言ったそうです。「祈りは神を変えず、祈る者を変える。」祈りに祈りぬくというのは忍耐がいります。でも、どうかあきらめないでください。このところいい天気が続いているので、思い立って床のワックスがけをしました。
今日の収穫感謝記念礼拝では、「私たちの必要のための祈り」というテーマでメッセージを聴きました。生活の必要、罪の赦し、試みからの救い、あらためて私たちが日ごとに祈るべきことを確認しました。クリスマスを前に「使徒信条」「十戒」「主の祈り」と駆け足でしたが、御言葉から学ぶことができて感謝でした。いよいよ来週からアドベント(降誕節)が始まります。新しい会堂になって二度目のクリスマス。礼拝後には恒例の大掃除と飾りつけ、そしてトラクト配布に勤しみ、みんなでイエスさまのご降誕を覚えて準備しました。「汝に選ばれ汝に近づけられて大庭に住まう者は幸いなり。」このクリスマス、皆さまと教会でお会いできるのを楽しみにしています。
11月も終わりが近づいてきました。秋の過ごしやすい時期はあっという間です。人生で為すべきことができるのもそう長くはないかも…ならば、為すべきことを。ふとそんなことを考えます。ジェームス・バリーは「幸福の秘訣は自分がやりたいことをするのではなく、自分がやるべきことを好きになることだ。」と言ったそうです。新渡戸稲造も「…天命を喜びつつその任にあたるのが、人間に生まれた義務なのだ」と。なるほど、そんな生き方ができたら幸いです。この点について、聖書は少々厳しく告げます。「なすべき正しいことを知っていながら行わないなら、それはその人の罪です。」主よ、為すべきことをなさしめたまえ…と祈りつつ、歩んでいきましょう。
祈祷会はⅡコリント6章から「つり合わないくびき」をテーマに学びました。朝は「どうして心が狭くなるのか…」を中心に、夜は「不信者とのつき合い…」を中心に話しが広がりました。パウロは「不信者と、つり合わないくびきをともにしてはいけない」(6:14)と命じる一方で、「それは一切つき合わないようにという意味ではない」(Ⅰコリ5:10)とも言っています。この一見矛盾するような言葉をどう理解するか。聖書は、人には矛盾でも、神には矛盾ではないことに満ちています。すぐに理解できる御心もあれば、少し時間が経たないと、あるいは御国に行かないとわからない御心もある。神の知恵とこの世の知恵の接触点など…。聖書は実に奥深い書物です。
…朝の光が眩しい。冬が寒いほど、春の優しさが身に染みる。人生にはつらく悲しい出来事や思い通りにならないことがたくさんある。泣きたくなった時は、その気持ちに素直に立って思う存分泣くことが大事。自分の中の悲しみや悔しさと向き合えば、その先には必ず本当のよき訪れがある。105歳の日野原重明先生の言葉です。特に病との戦いは、人にはわかってもらえない、言い知れない苦しさがあると思います。教会はただ祈っています。快復を信じて…。奇跡は誰にでもそう簡単に起こるものではないかもしれませんが、いつの時代も奇跡としか言いようのない体験をする人がいます。それは、自分で握りしめている問題を手離して、全てを神にゆだねきった人です。
今朝の礼拝では「主の祈り」からメッセージを聴きました。父なる神が祈りを待っておられること、自分のことを口にする前にまず神をあがめること、御心に生きることの大切さを学びました。夜の礼拝では齋藤五十三宣教師が宣教報告とメッセージをしてくださいました。14年3カ月に渡る台湾でのご苦労…人は荒野で神と出会うこと、主の訓練には必ず意味があることを教えられました。メッセージ後の分かち合いでも、主任牧師の説教は「朝ごはん」と話してくださり、なぜか…とても励まされました。斎藤先生も今回のデプテーションで宣教師としての働きは一区切りとなり、これからは神学校教師としての働きが始まります。本当に長い間…お疲れさまでした。
今日はまるでトルストイの「くつやのマルチン」のように、代わる代わる教会を訪ねてくださる方がありました。律儀で真面目すぎる青年は、一緒にお祈りした後…心の霧が晴れたように爽やかな笑顔で帰っていきました。聖書配布を使命とされるご年配の方は、「私が洗礼を受ける時は仏壇を焼いたもの」と話してくださり…今後の宣教について色々ご指導くださいました。小さなお子さんのいるお母さんは、少しお疲れを覚えているようでしたが…御言葉から慰めを受けることができたようです。十字架のもとで、いろいろな方との交わりが与えられ、私の方が励まされました。神さまが「あれはわたしだったのだよ」と夢の中で語りかけてくださるような一日でした。
今日は朝から曇り空のため、芽を出したばかりの冬の作物たちも太陽はおあずけでした。夜の英会話クラスが終わって片づけをしながら、ある質問を思い巡らしていました。「皆さんどういう理由で教会に来られるのですか」その方は、今のところ家庭も問題ない、特に悩みもない、病気もない…とのこと。本音なのか、建て前なのか、あるいは、それが一般的な考えなのか。一瞬、喉まで出かかた言葉は飲みこんで、自分が初めて教会に来た時のことを思い出しながら「不思議ですね」と。教会に来る理由は人それぞれ。どんな理由でも、それは主の不思議です。ぜひあなたも体験してみてください。「これは主のなさったことだ。私たちの目には不思議なことである。」
秋の深まりを少しずつ感じながら、今年最後の運営委員会が高槻聖書教会でありました。同労の先生方と各委員会での審議後、来年度の予算・計画などについて話し合いました。朝から夕方までの会議に、少々疲れ気味で帰宅…。どこかで風邪をもらってきたようです。「病は気から」クリスマス前に提出する資料もたくさんある、気を引き締めていこうと思います。
「…私たちを慰めてくださいます。」祈祷会ではⅡコリント1章から学びました。パウロはお世辞にも立派とは言えないコリントの教会を「神の教会」と呼びました。いつの時代も地上の教会には必ず問題がある、でも、それと同時に「慰め」も溢れている。真の慰めは全て神からくるもの。今朝もそうでしたが、夜の祈祷会でも外気が一段と寒くなったように感じました。
礼拝では「父なる神への祈り」というテーマでメッセージを聴きました。イエスさまは「祈り」について具体的に教えられました。そこから「祈り」とは、神と私との個人的なものである、父なる神へささげるものである、生ける神を体験するものであるをポイントに学びました。神が私以上に私のことをよく知っていてくださるというのは本当に感謝です。だからこそ、どんなことでも祈っていい。「人はなぜ祈るのか」と聞かれたら「そこに神がいるから」ではなく「神が人をそのように造られたから」でしょう。今日は児童祝福式、防災訓練もありました。
今日の祈祷会には朝夜合わせて18名が出席されました。御言葉を読み、ともに分かち合い、個人個人で祈る…。いつもと変わらない祈祷会ですが、こうしてウィークディにも主にあって交わりが持てるのは感謝です。箴言16:20「みことばに心を留める者は幸いを見つける。主に拠り頼む者は幸いである。」出席者の中には、未信者の頃から知っている方もいて、御言葉から感じたことを分かち合ってくださる姿に、主は確かに一人ひとりを成長させてくださっていることを感じました。自分もまた…そんな主のお取り扱いの中にいるのだと思えるのは幸いです。
今朝の礼拝も「十戒」後半、隣人を愛することから。「十戒」は、「してはならない」という消極面だけでなく、「むしろ…」という積極的な生き方を命じています。この戒めを完璧に守ることは難しく、これに従って歩もうとすれば「できない」「したくない」という自分の罪深さを示されます。でも、あきらめる必要はありません。なぜなら「十戒」は、救われるための条件ではなく、救われた者がいかに生きるかを指し示すものだからです。困っている人がいれば手を差し伸べる。聖霊に助けて頂いて、そんな当たり前の生き方を心掛けたいと思います。
教会から10分ほど歩いたところに昔の街並みがそのまま残っているような小道があり、そこには「芝村の高札場跡」という看板があります。「江戸時代、放火やキリスト教、偽金銀の使用の禁止等のお触れ書きを掲示するため、村々に高札場が設置され…」「放火」と並んで「キリスト教」が厳しく禁じられていた時代…この看板を見る度に胸が痛くなります。耐え難い迫害の中を、信仰をもって生き抜いた先達の祈りが聞こえてくるようです。
箴言24:10「もしあなたが苦難の日に気落ちしたら、あなたの力は弱い。」「苦難の日」とは逆境にある日のこと。だもれが人生の中で絶望しそうになることがある。心と体は繋がっていますから、心がそうなら体も弱くなり、治るものも治らなくなります。あきらめるにはまだ早いです。詩篇50:15「苦難の日にはわたしを呼び求めよ。わたしはあなたを助け出そう。」聖書は気休めの書物ではありません。神の御業を体験する書物です。
今日の祈祷会はⅠコリント16章から御言葉を学びました。国際的な商業都市、人種的にも雑多で、不道徳な町としても有名なコリント。その町でまだ小さな群れでしかないキリスト者たちは、良くも悪くも様々な影響を受けながら信仰生活を送っていたのでしょう。その中で大勢に流されずに主の道を生きよ。パウロの勧告はそのまま今日の私たちにも語りかけるのです。
教会の横に植えた「そら豆」がやっと芽を出しました。昨日あたりからグッと寒くなってきましたが、何とか大事に育てていこうと思います。Ⅰコリント16章「一切のことを愛をもって行いなさい」作物を育てるようにはいきませんが、すぐに損得勘定で物事を捉え易い自分にとって…見失いたくない御言葉です。
キッズフェスタ2018も終わり、恒例のKFSM一泊研修会がありました。箕面の町の夜景を眺めながら、気心知れた先生方と和やかに…時に真面目に交わりを持ちました。さすがは牧師の集まり、話題が聖書翻訳・聖書解釈のことになるとスイッチが入ったかのごとく、普段いかに聖書を精読しているかがわかりました。聖霊派、ペンテコステ派、福音派…と互いに教派・考え方の違いもありますが、それ故に学ばされることも多く感謝でした。
今日の礼拝メッセージは「十戒」の後半部分、第五戒から第七戒の隣人に関する戒めから学び、ハンクスさんにも証しをお願いしました。「父と母を敬え」そんなのは当然だと思う人もいれば、とても難しいと思う人もいます。家族だから余計に腹が立つ、赦すのが難しいということもあるでしょう。でも、忘れてはならないのは、親も罪人の一人、完璧な人などいないことです。神はそんな私たちをこよなく愛されました。この愛だけが人を新しく変える力を思っているのです。
さわやかな秋晴れの中、今年もキッズ&ファミリーフェスティバルが行われました。今回は京都の新島会館を会場に、約400名のご家族が来場されました。当初、台風の影響で大阪の会場が使えなくなるというハプニングもありましたが、終わりよければすべて良しです。私は会場セッティング、模擬店の準備、クワイヤーの誘導、最後は着ぐるみの中へ…。心地よい疲れを覚えながら、夜八時に帰宅。これから明日の礼拝メッセージの準備です。
夕方から雨がしとしとと降り出しました。「人にはそれぞれ人生の四季がある…」吉田松陰が処刑前に書き残した遺書にある思想です。明日はその彼が亡くなられた日とのこと。自分は今どの季節を生きているのか…誰も分からないから考え出したら不安になります。そんな夜は、明日のことをご存知である神の御声が聴きたいものです。「明日のための心配は無用です。明日のことは明日が心配します。」老年期は誰でも力の衰えを感じる時期ですが、あらためて…人生の価値観を転回する時期でもあるようです。神の愛と癒しを心よりお祈りしています。
中年期は収穫の時期、自分がしてきたことを刈り取る時期。でも、上手く行かないこともあります。それでも何とか乗り切ろうと頑張って…病気になる人も多い。家族、子ども、仕事…このままでいいのだろうかと考えることも。どうか夏の時期を引きずらずに、今の時期を見つめたいものです。成功するだけが人生の目的ではありません。実り多き失敗もあります。あのことがあってよかったと思える生き方。神との出会いは、そんな今まで偶然と思っていたことに意味があることを教えるのです。
…設けられたのです。人間が安息日のために造られたのではありません。」パリサイ人は安息日を形式的に守ることを重んじ、自分が陥っている誤りには気づきませんでした。イエスはそんな彼らに安息日が何のためにあるのかを示されたのです。自分が正しいと思っていることがいつも必ず正しいとは限りません。自分がまだ知らないことや気づかずに誰かを傷つけていることもあるかもしれません。間違いを指摘されたら、潔く認める謙遜さも養いたいものです。夏の終わりに植えた大根が成長してきました。日もよく当たらない狭い所で、、、健気なものです。
本日の礼拝では笹田神学生が献身の証しをしてくれました。神の召しを受けてから神学校への道が開かれ、いよいよ卒業してユースパスターを目指します。私も派遣前の初心を思い出しました。また、メッセージは十戒の「第四戒」から学びました。「安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。」「日常の仕事をやめる」「聖なるものとする」あらためて安息日をいかに過ごすか、いかに礼拝をささげるかを教えられました。神の安息は今なお終わらずに、誰にでも開かれています。一人でも多くの方がこの招きに応答し、神のもとに立ち返ることができますように。
礼拝とは何ですか…という質問を受けますが、牧師の説教を聴くことが礼拝だというのは誤解です。勿論そういった時間もありますが、そこでいい話しを聴いた、心が温かくなった、励まされた…ということで礼拝の善し悪しが決まる訳ではありません。また、きちんと行儀よく座っていることでもありません。礼拝とは、神さまは素晴らしいということを認め、その方にふさわしい栄光をお帰しすること。私たち人間はそのために造られたのです。ぜひ教会の日曜礼拝に出席してみてください。
「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」病の時や孤独を感じる時に思い出したい御言葉です。人生は落ち目になった時に本当の人の情けが分かると言います。自分の弱さや惨めさを見つめる時にこそ、神の変わらない条件なしの愛が心底分かってくるものではないでしょうか。神は、ご自身の救いを求めるあなたを決して見捨てることはありません。
「わたしは、愛する者を叱ったり、懲らしめたりする。だから、熱心になって、悔い改めなさい。」私の性格もありますが、褒められたことより、厳しく言われたことの方を懐かしく思い出します。私はよく父に叱られました。それはともかく、教会にお電話を頂いて…結局なんにも力になることが言えず、申し訳なく思います。どうか御言葉が支えとなりますように。
今日の祈祷会は箴言12章。珠玉の箴言の中から、特に21節の御言葉に注目が集まりました。「正しい者は何の災害(害悪)にも会わない。悪者はわざわいで満たされる。」本当に心からそうです!…とあなたは言えるでしょうか。私たちの暮らしには、どう考えても不条理に思うことがしばしば起きます。でも、「なぜ」と原因を尋ねても、神は答えてはくださらないでしょう。その代わり聖書は、そこであなたは「いかに」生きるかを教えているのです。午後は京都でKFSMミーティングがありました。いよいよ来週の土曜日がキッズフェスタの本番です。
10月の第二礼拝は、出エジプト記20章から「ただひとりの神を崇める」というテーマでメッセージを聴きました。分け登る麓の道は多けれど…どの宗教も結局は同じというのが日本人にあう感覚なのかもしれませんが、聖書は断じてそう言いません。「あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。」キリスト教は偏狭な宗教だと思われても、神はおひとり、これだけは譲れないのです。礼拝でのN姉の証しにもとても励まされました。午後からは「サツマイモ掘り」。収穫はイマイチでしたが…子どもたちは楽しそうだったのでよかったです。
今日のハートフル英会話・チャペルタイムはルカ15章「放蕩息子のたとえ」から、レイチェル先生がメッセージを語ってくださいました。神の愛と赦し…Forgiveについて、これほどわかりやすい例話はありません。私も子どもの頃に観た、高倉健さんと倍賞千恵子さんの「幸せの黄色いハンカチ」の映画を懐かしく思い出しながら、神さまも私たちの帰りを待っててくださっていることをお話ししました。夕方からはホゼア先生と元気いっぱいの子どもたちの楽しい英会話。空はすっかり秋空に…気づけば日が暮れるのもだいぶ早くなりました。
夏の日差しが戻ってきたような体育の日、第20回関西宣教区ソフトボール大会が行われました。昨年の優勝チームの松原聖書教会が葬儀で不参加となりましたが、その代わり静岡から参加の磐田キリスト教会が台風の目となって大いに盛り上げてくれました。柵越えの連発、好プレーあり、珍プレーもあり、今年も真剣勝負さながらの熱戦が繰り広げられました。主催者のひとりとしては、とにかくケガ人や熱中症が出なかったことが何よりでした。
10月第一週は講壇交換で学園前聖書教会の吉田篤師が来てくださり、「聞き続ける祈り」というテーマでメッセージを語ってくださいました。私も久しぶりに学園前に行き、温かく迎えて頂きました。季節の変わり目だからでしょうか。少し体調を崩している方もおられたり、はたまた運動会シーズンでお疲れのご家族もあったようです。前日の土曜日は、少し時間的な余裕もできたので、教会前の花の植え替えをしながら「秋」を感じていました。
台風が過ぎるのを待って、東京の実家に立ち寄り、そのまま長野県の松原湖研修会に向かいました。同盟教団の牧師が一同に会するのはこの時だけです。昨年は妻の入院もあって欠席したので、同労の先生方の顔を見るのも久しぶりで感謝でした。「聖書信仰と教会形成」というテーマでとてもよい学びができました。「人の子も、仕えられるためではなく仕えるために…」キリストの姿勢に倣う。「牧師」という職務の尊さも再確認できました。
『全羅道1000年 日韓文化をつなぐ』のカンファレンスに出席しました。日本人でありながら韓国孤児3000人を育て「韓国孤児の母」と慕われた田内千鶴子さん。彼女の生誕100周年を祝い、『国連世界孤児の日』制定のために祈りが捧げられました。やはり聖書の教えを実際に生きた方の話しは心に響きます。さまざまな先生方と知り合い、日韓の講演を聴くことができて感謝でした。また、台風24号が接近する中、朝の礼拝が捧げられました。詩篇5篇から「朝明けの祈り」をテーマにメッセージを聴きました。「主よ。朝明けに、私の声を聞いてください。」そのまま読んで恵まれる詩篇の言葉ですが、いつも以上にその一つ一つの言葉の奥深さを味わいました。午後は雨も風も強くなり、やむなく夕礼拝をお休みに…。教会の花たちも一時退避。皆さまの地域も守られますように。
「…教会ではどういう立場にありますか?」とある方から質問を受けましたが、歯切れの悪い答えをしてしまいました。これまでにも全く考えていなかったわけでもなく、私自身は「それは罪です」と明言する方々とは一線を引いてきました。ただ「教会」として、どういう立場にあるか…難しい問です。「この兄弟のためにもキリストは死んでくださったのです」教会はだれが来てもいい場所でなければならないことは確かです。
今日の祈祷会はⅠコリント8章から「偶像にささげた肉について」をテーマに学びました。それがいい事なのか、悪い事なのか…その判断も大事なことですが、何よりも優先されるのは、神を愛し、隣人を愛することです。「知識は人を高ぶらせ、愛は人の徳を建てます。」今日の教会の中にも同じような問題は起きてきます。互いに寄り添いながら、愛を学ぶ教会でありたいと思います。先々週、大根の種を植えたところ、早くもかわいい芽が出てきました。成長が楽しみです。
聖霊は「神」なのか「力」なのか。キリスト教教義の中でも重要なテーマの一つ。エホバの証人の方は「力」と言われます。でも、聖書には、三位一体の神が啓示され、聖霊が単なる「力」や「影響力」でないことは明白です。主イエスも「父・子・聖霊の御名によって」と同格に置かれ、パウロも「聖霊を悲しませてはいけない」と人格的な方として記しました。聖霊は私たちの「助け主」として世の終わりまでともにいてくださるお方です。
今日の礼拝では詩篇4篇からメッセージを聴きました。ダビデは苦難の中で神の恵みの体験を思い出してこう祈りました。「あなたは私の苦しみの時にゆとりを与えてくださいました。」苦しみに迫られた時こそ、慌てず、静まって、心のゆとりを持ちたいものです。ダビデは続けてこう告白します。「知れ。主は、ご自分の聖徒を特別に扱われるのだ。」神こそ、心のゆとりを与えてくださる方です。今年は、教会の朝顔もたくさん花を咲かせてくれました。
「教会は伝道に失敗し、重大な誤りを犯す。それは罪ある者たちで構成されているから。でも、教会はこの世にあってキリストのからだであり、神の御業が現れるところ。」「『教会』なぜそれほどまでに大切なのか」の一節。久しぶりに読みました。確かに地上の教会はその大きさに関わらず、どこも完璧な教会はありません。痛みがあり、悲しみがあります。赦された罪人の集まり…それが教会。「教会に傷ついて行けなくなりました…」という方が一人でも少なくなりますように。
今日の祈祷会はⅠコリント4章14~21節。さまざまな問題が噴出しているコリントの教会に、パウロは「私にならう者となってください。」と勧めました。それはパウロの自負心からではなく、自分がキリストを見倣っているように、あなたがたもそうなってほしいという思いです。いつの時代も世の教会は問題がありますが、一人一人が成長過程にあるので仕方がありません。主にあって互いに整えられていく幸いを味わいたいものです。
今年の一泊ファミリーキャンプは、宿泊予約が取れませんでした。その代わりに、教会でデイキャンプとなり、一麦西宮教会の鶴岡徹也伝道師をお招きしてご講演いただきました。「私と教会」「私の教会」をテーマに丁寧に語っていただきました。「からだの中で比較的に弱いと見られる器官が、かえってなくてはならないものなのです。」講演後の参加者の分かち合いも、予定時間をオーバーするほど熱が入っていました。教会はキリストのからだであり、一つの大きな神の家族です。あらためてそのことを確認させていただきたよき講演会でした。
夏の暑さが戻ってきたような日差し、今朝の礼拝は詩篇4篇からメッセージを聴きました。息子アブシャロムの謀反から王宮を追われたダビデ、王としても父としても、その心痛は計り知れないものだったでしょう。でも、そんな中にもこの詩篇は主への力強い信頼に満ち、問題の解決は主にあることを告白していました。礼拝後は新来者の青年と卓球で汗を流しました。北海道で学ぶ爽やかな青年、ぜひまたいらしてください。
雨の日が続いています。昨日からぐっと涼しくなって、町には長袖の人が多く見られるようになりました。北海道地震も発生から8日目を迎え、本格的な冬到来を前に住民の方々は不安な日々を過ごしています。一日も早く復興が進むように祈るばかりです。そんな中、少し季節外れかもしれませんが、教会の朝顔が毎日きれいに花を咲かせています。たった一日だけ見事に咲いて役目を終える…なんと健気な。朝顔もひまわりと同じく、見ているだけでなんか力をもらいます。
祈祷会は士師記21章から。「そのころ、イスラエルには王がなく、めいめいが自分の目に正しいと見えることを行っていた。」神の導きを求めないイスラエルの霊的堕落の状態を学びました。確かにいつの時代も、神なしの人間社会の愚かさに変わりはないのかもしれません。最後にある青年が「そもそも人間が神の目に正しいことなどできないのでは…」と分かち合ってくれました。でも、だからと言って何もできないというのではなく、為すべきことを行う者でありたいものです。
何かをしなければならないのに…弱気になって踏み出せない、前どころか後ろにも戻れない…袋小路のような思いに押しつぶされそうになる。そんな時は無理をしないで少し待ってみてはどうでしょう。「先の事どもを思い出すな。昔の事どもを考えるな。見よ。わたしは新しい事をする。」待てば海路の日和ありです。少し待っていたら見る景色も変わるかもしれないし、進む道が見えてくるかもしれません。そんなことを思いつつ、教会員の壊れたベランダを修理していました。
今日の礼拝は詩篇2篇からのメッセージ。神に逆らう人間の姿と天の御座から見ておられる神の姿、そして御怒りはいまにも燃えようとしているとありました。近年これだけ大地震、台風、豪雨、津波、異常気象…と相次いで災害が続き、自然の脅威を感じるとともに、世の終わりも近づいていることを感じます。「幸いなことよ。すべて主に身を避ける者は。」今があるのは当たり前ではありません。時を越えて、この神の招きを聴ける幸いを思います。
台風に続いて、北海道で震度七の地震が発生し、死者行方不明多数の甚大な被害がでました。主の憐れみを祈るばかりです。英会話も今日からスタート。木曜日に子どもたちの元気な声が戻りましたが、ひとりの子の何気ない一言が心に残りました。「神さまがいるならなぜこんな地震が起こるの?」正直な気持ちでしょう。でも、確かなことは、神はすべてをご存知で、私たちを愛しておられることです。「被造物全体が今に至るまで、ともにうめきともに産みの苦しみをしている…」
今日の祈祷会は士師記16章。サムソンは神から類まれなる大力を授かっていながら、愛した女性の奸計にはまってその力を失い、惨めな最期を迎えました。最後の最後に悔い改めて、敵のペリシテ人を一網打尽にしますが、時すでに遅し…。でも、なぜ神はもっと早くサムソンの傍若無人な態度を改めさせなかったのか。神の聖定と人間の自由意志の問題など、活発な意見が飛び交いました。「神は、私たちが御怒りを受けるようにではなく、…救いを得るように定めてくださった。」
2007年夏の甲子園、公立校ながら佐賀北は広陵との決勝戦に挑んだ。8回裏まで3点を追う展開で、ワンアウト満塁、三番副島の打球が高々と舞い上がり、そのままレフトスタンドに吸い込まれた。あれから11年…副島さんが指導者となって高校野球に戻ってきたという記事を読みました。あらためて「野球は最後までわからない」と教えられた試合でした。人生も最後まで何が起こるかわかりません。主イエスとの出会いは、まさに人生の逆転満塁ホームランといえる出来事です。
9月最初の礼拝は、詩篇1篇からメッセージを聴きました。幸いな人…それは万物の創造主であり、唯一の救い主である方と出会い、その教えを喜び、その交わりの中で養われる人です。「時がくると実がなり…何をしても栄える」そんな神の時を待ち望み、どんな時も希望をもって歩む信仰者にならせていただきたいものです。さて、今年最大級の台風が関西に接近中です。トウモロコシをはじめ野菜や草花が心配ですが…人事を尽くして、天命を待ちます。
今日、お電話くださった方ありがとうございました。お話しできてよかったです。大変な人生…影ながら私も祈っています。「主は、ご自身が試みを受けて苦しまれたので、試みられている者たちを助けることがおできになるのです。」教会の小さな畑で、時期外れのトウモロコシが育ってきました。草花も何か話しかけながら水をあげると育ち方が違うそうですが、なかなか照れくさいものです。本当は「ありがとう」とか「よくがんばっているね」と言うべきなのでしょうが…。
キッズフェスタ2018開催のために、今日は京都(新島会館)でKFSMミーティングを持ちました。今年は北摂地震の影響で大阪での開催が中止となり、やや残念ですが…京都のみの開催となります。2010年から始まったこの働きも、早いもので今年で8年目。子どもたちへの宣教、信仰継承、教会学校の活性化をおもな目的として超教派で取り組んできました。今年もアッと驚くプログラムを準備していきたいと思っています。乞うご期待です!
8月も最後の水曜日、いつものように祈祷会が再開しました。詩篇34篇から。正しい者がなぜ苦しまなければならないのか…何度も話し合ってきたことですが、今日も考えさせられました。この世の常識では決して答えは出ません…でも、聖書はこう告げます。「正しい者の悩みは多い。しかし、主はそのすべてから彼を救い出させる。」この「しかし」がある限り、信仰者には希望があります。夜は久しぶりに青年たちと一緒の夕食でした。
献堂記念礼拝の後、午後からオープンチャーチがありました。ヨーヨー釣り、スーパーボールすくい、手作り輪投げなどの定番ゲームから、ミニフランク、アイスクリーム、本格焙煎コーヒーも味わえる喫茶コーナーを準備しました。夏休み最後の日曜日ということもあって、多くの方々が来会してくださいました。「主が家を建てるのでなければ、建てる者の働きはむなしい。」ますます地域の方々に愛される教会となれるように願っています。
ハレルヤ!主の御名はほむべきかな。さわやかな天気の中、献堂一周年記念礼拝をささげました。吉持日輪生先生をお迎えしてメッセージを取り次いでいただきました。毎日さまざまなことが起こり、多くの方との出会いと別れがありましたが、ここまでの神さまの導きと守りを感謝いたします。そして、これからも「与えてくださる神さま」を見上げて、互いに助け合い、愛し合い、支え合って、心一つに歩んでいきたいと思います。
日本列島に台風20号が近づいています。西日本豪雨で被害の遭った岡山・広島にも直撃になりそうです。「どうかあなたに身を避ける者がみな喜び、とこしえまでも喜び歌いますように。」苦難の中にいる方、病の床にある方、問題の渦中にある方々を覚えて祈りました。お電話をいただいた方、出れずに申し訳ありませんでした。
小学生キャンプが終わって、一応、今夏の臨時外部奉仕もひと段落です。久しぶりの「鬼ご」で走り回りクタクタになりました。三回のメッセージもみんなよく聞いてくれて…疲れ知らずの子どもたちから元気をもらって帰ってきました。さて、教会でも今度の日曜日はオープンチャーチです。木材の余りを使ってちょっと大きめの「手作り輪投げ」を作りました。
明日からのキャンプで三回のメッセージを担当します。母教会の茨木聖書教会のキャンプですが、34名の子どもたち(23人がノンクリスチャン)が参加するそうです。楽しみにしています。キャンプは準備が大変で、奉仕者の方々に感謝です。とにかく事故なく、怪我なく、みんなで楽しんで帰ってきたいと思います。参加者にイエスさまとのよき出会いがありますように。
礼拝ではアブラハムの生涯を学んできましたが、今回で一区切りとなり、彼が最愛の妻サラを葬るために私有の墓地を手に入れたところからメッセージを聴きました。クリスチャンにとっての最高の喜びは天の故郷が備えられていることです。午後からは来週のオープンチャーチの準備、子どもたちは二回目となるジャガイモの植え付けにチャレンジしました。
水曜祈祷会がお休みで少し寂しいウィークデイを過ごしていますが、オープンチャーチと英会話の案内が届きましたのでこれから配りに行きます。ホームページをご覧の皆さまの家にも案内が届きますように。オープンチャーチは献堂一周年を記念した感謝祭です。地域の皆さま、どうぞご家族そろってお越しください。
昨日から二日間、大阪シオン教会の聖会にお招きいただきました。敬愛する安達牧師からの依頼でしたのでお引き受けしましたが、3回のメッセージで、私自身が恵みに満たされる聖会でした。本当に教会全体がひとつの家族のようで、賛美も祈りも素晴らしく、メッセージ後も多くの方が声をかけてくださいました。こんな大きなポスターまで…。思わず記念にいただいて帰ってきました。
今週は講壇交換ということで、野口富久先生がメッセージを取り次いでくださいました。私も後で録音を聞きましたが、テンポのよい笑いと深い御言葉の解き明かしに時間を忘れて聴き入りました。礼拝に出られた方々の笑顔が目に浮かびます。そして、私は10年ぶりに松原聖書教会でのメッセージで、大勢の兄弟姉妹を前に緊張しましたが、温かく迎えていただき感謝でした。
…生きれば、いつの日かそれが現実になる。」スティーブ・ジョブズは17歳の時この言葉に出会い、以来33年間、毎朝自分に問い続けたそうです。「もし今日が人生最後の日だとしたら、私は今日しようとしていることをしたいと思うだろうか。」自分の死について考えるのは決してマイナスだけではありません。それは、限られた時間の中でより良い人生を考えることでもあるのです。
人生は、幸いな良い時ばかりでなく、時に「水のない、衰え果てた乾いた地」を歩かなくてはならないこともあります。草木一本見つからない…まさに人生の荒野を。でも、大切なのはそこにも神はともにおられ、呼び求めれば応えてくださることです。人間の限界は神との機会。そこでこそ神の力と栄光は現れるのです。
アブラハム最大の試練、愛するひとり子イサクを捧げるところからメッセージを聴きました。礼拝後のグループタイムでも、神の厳しすぎる命令に戸惑いを覚える方もいました。確かに受け入れ難い記述ですが、そこにはイエスを捧げられた父なる神の愛が全体を覆っています。神の御心は従った者にしかわからないのかも…。アブラハムは最後まで立派だったと思います。
「あなたは…正しい者を悪い者と、いっしょに滅ぼし尽くされるのでしょうか。」主はソドムとゴモラの町を滅ぼすことをアブラムにお告げになりました。神の裁きの厳しさを思いますが…それでも彼は主の前に立って、あきらめずに祈り続けました。主もそんな彼に「滅ぼすまい」と答えられたのです。大切なのは、まず自分自身が神との関係において正しい者として歩むこと。主は今日も十人の正しい者を探しておられるのですから…。
祈祷会はマルコ9章から主イエスの変貌山の記事を読みました。ここから十字架の歩みが明らかになっていきます。人の視点と神の視点の違いを思いました。昼食では男性二人の誕生日を祝っていただきました。Nご家族もいよいよ帰国。寂しいですが…本当にいつも感謝です。
今年も早いもので…7月も終わりの日を迎えました。8月と言えばキャンプのシーズンですが、どこも奉仕者不足のようです。私も手伝いに行ければと思いつつ…災害ボランティアも後ろ髪をひかれながら…なかなか教会を空けるわけにはいかない状況が続きます。15年に一度という火星の大接近を眺めながら、今週は聖会の準備に勤しみます。
7月最後の主の日、礼拝では「御心にかなった祈り」というテーマでメッセージを聴きました。破れ口に立つ者の使命を思いました。早いもので新会堂に移って間もなく一年になります。いつの間にか子ども礼拝の人数も増えてきて教会が賑やかになってきました。神さまを中心に、神の家族として一緒に生きていけるというのは幸いです。
ボランティアの疲れが出たのか…今日はやらねばならない仕事がありながらなかなか捗りませんでした。こういう時はいろいろな誘惑も起きやすいと思い、机から離れて野菜や土いじりに勤しみました。トウモロコシもだいぶ背が高くなりました。被災地でもいろんな畑を見ましたが、ぜんぶ水に浸かって泥だらけでした…。日常は決して当たり前ではないことを思わされます。
彼らの間に探し求めた…」祈祷会で災害支援ボランティアの報告をしました。実際に自分の目に移ったものをなるべく詳細にお伝えして、皆さんに祈っていただきました。アブラハムはソドムがどんなに罪深い町でも主の前で、破れ口に立つ者としてとりなし祈り続けました。今まさにそんなとりなしの祈り手が必要です。
月曜日の朝に岡山県広江市に着き、そこから真備市へ入り、泥だしのボランティアをしてきました。この地域も最高水位は4mまであがり、亡くなられた方もいました。結局2日だけの滞在でしたが、できる限りのことをして帰ってきました…。時間を見つけて、また行かせて頂きたいと思います。
新会堂での初めてのファミリーコンサートを行いました。今回もバイオリン、チェロ、フルート、ピアノ、お琴、デュエットなどさまざまな演奏と賛美が捧げられました。「見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、なんというしあわせ、なんという楽しさであろう。」参加してくださった皆さまに感謝いたします。
ハートフル英会話春期コースが終了しました。今日はオーストラリア出身のレイチェルさんが真夏のクリスマスを紹介してくれました。おいしいお料理にクリスマスソング、そしてゲーム!ほんのひととき、暑さを忘れる?恵みにあふれる時間でした。“Oh! Jingle bells, jingle bells, jingle all the way, Christmas in Australia on a scorching summers day, Hey!”
士師記3章の冒頭には、主がイスラエル人を試みるために先住民を残していた理由が記されています。主の試みには意味があることを思います。午後からのKFSMミーティングでも秋の集会に予約していた会場がキャンセルとなり、プログラムの見直しが余儀なくされました。なかなか思うように物事は進みません。でも、酷暑の中でもがんばっている草花のように、ここで諦める訳にはいきません。
酷暑の中でしたが、中国・四国宣教区と関西宣教区の青年たちが集うDS-青年キャンプが能勢川バイブルキャンプ場で行われました。西日本豪雨の影響でキャンプ参加も心配される中、青年たちは元気に車に乗り合わせて来てくれました。私は部分参加でしたが、熱気あふれる集会にエネルギーをもらって帰ってきました。
「向日葵は一日にして咲かず」信仰の世界も同じです。アブラムは試練と失敗を繰り返して信仰の父と呼ばれるようになりました。神は失望と孤独を覚えるアブラムの傍らに寄り添い、約束を与えられ、信仰の継続を求められました。「さぁ、目を上げて、あなたがいる所から…見渡しなさい。」人の目には荒野に見えても、神のご計画はその先にあるのです。
英会話の講師として来てくださっているホゼア先生が和洋フェスタを開催します。世界各国のフードコート、フリーマーケット、コンサート、ダンスなど、盛りだくさんのプログラムです。ぜひお近くの方はいらしてください。箕面の教会もブースを出します。ホゼアさんは英語教師のほかに、自殺防止カウンセラーでもあります。詳しくは→https://hope4japan.jimdo.com/
今日の祈祷会である方が仰られました。筆舌に尽くし難い試練を通られた方の言葉だからこそ重みがあります。神がおられるなら、なぜこのような試練があるのか…。神は善なる方なのか…。歴史の中で、どれほど多くの方が同じ言葉を口にされてきたでしょう。もとより自分などに、神の深淵なる御旨は永遠にわからないと思いながら、それでも十字架を見上げつつ、一緒に考えさせて頂きたいと切に思わされました。
滝のような雨の後は真夏のような日差し、その中でも作物たちはやおら立ち上がって健気に実や花をつけました。私たちの人生も時に嵐のような中を通らされることがあります。「まことに御怒りはつかの間、いのちは恩寵のうちにある。」ダビデの人生も試練の嵐は吹き荒れました。でも、大事なのはそこから何を学ぶかです。立ち直った時、必ず成長の実を結ばせて頂くのです。
西日本の豪雨災害は200人以上の死者行方不明者を起こしました。被災者の方々を覚えて祈ります。教会ではアメリカからN家族が帰って来られ喜びを分かち合いました。悲しみと喜び…神の御旨はそう易々とわかるものではありません。近視眼的に見れば不条理な現実が、神などいないと迫ります。でも、御言葉には「わたしが示す地に行きなさい」とあるのです。アブラムの信仰から行き先は知らずとも、神の約束を信じて歩むことの大切さを学びました。
地下鉄サリン事件などを起こしたオウム真理教の元代表、松本智津夫(63)と元幹部の計7人の死刑が執行されました。なぜこんな凄惨な事件を起こしたのか…結局、当事者から聞くことはできませんでした。彼らのように、「ハルマゲドン」「世の終わり」を強調するカルト的な団体は他にもあります。ご注意ください。
…それが神の霧となって雨をしたたらせる。雨雲がこれを降らせ、人の上に豊かに注ぐ。」雨は確かに神の恵みそのものですが…昨日からの激しい大雨で各地に被害が出ています。箕面市も避難指示が出たので今日の英語Kidsクラスは休講です。まだ雨は続きそうな…。被害に遭われている地域を覚えて祈ります。
…寒さの夏はおろおろ歩き、みんなにでくのぼーと呼ばれ、褒められもせず、苦にもされず、そういうものにわたしはなりたい。」宮沢賢治『雨ニモマケズ』のモデルとなった齋藤宗次郎さんは花巻で最初のクリスチャンでした。そんな方にはそうそうなれませんが、世の価値観に縛られない生き方に人は憧れるのでしょう。聖書は読むだけでなく、生きてこその書物です。
今日の第一主日は玉井美穂師が礼拝メッセージを取り次いでくださいました。体の調子が悪くて病院に行く人はいても、心のあり方が悪いから教会を訪れる人は少ない。医者を必要とするのは病人という意識です。同様に、「私など神の前に出る資格もない…」そう思っている人こそ実は神の目には尊い存在なのです。「幸いなるかな。心の清き者。その人は神を見ん。」
今日は日本宣教学会のお手伝いで関西学院大学に行ってきました。難民・移住者の問題を考えるという大切なテーマでした…。私にとっては尊敬する懐かしい先生方との再会にも大変恵まれました。「キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目指して一心に走っているのです。」備えの日にしっかり充電できました。
ジャガイモの収穫も終わり、気持ちも新たに狭い畑を耕します。ご近所の皆さま、すみません。肥料を間違えて…臭いで少々ご迷惑をおかけします。詩篇には「涙とともに種を蒔く者は、喜び叫びながら刈り取る。」とあります。伝道は、なかなか種蒔いて実らず、水蒔いて育たず…です。でも、私の場合、種を蒔く前にまずもっとご近所を福音で耕さなければいけません💦
教会に下川友也先生・ヨリ先生ご夫妻が立ち寄ってくださいました。下川先生のお年を聞いてびっくりましたが、力強いお言葉とお祈り、そして、ヨリ先生の変わらない優しい笑顔に本当に励まされました。「人を潤す者は自分も潤される。」(箴言11:25)聖書通読を500回以上されている先生に倣って、改めて牧師たる者もっと聖書を読まなくてはと思いました。
「あなたがたは、私に悪を計りましたが、神はそれを…」礼拝では創世記のヨセフ物語からメッセージを聴き、神の前に絶えず悔い改めること、神のお取り扱いを受けること、神の最善を信じることを学びました。たとえ今は辛くても、苦難には必ず神の計らいがあります。午後からは集会がなかったので、子どもたちとジャガイモの収穫&卓球を楽しみました。
「熟練した者、すなわち真理のみことばをまっすぐに説き明かす、恥じることのない働き人」に育てられるもの。今日も数人の方が教会の掃除に来てくださいました。明日の礼拝の祝福を覚えてともに祈りつつ備えができることは感謝です。ハイビスカス、向日葵も育ってきました。心を込めて、次はサツマイモとトウモロコシに挑戦します。
お隣の茨木市・高槻市では、建物にヒビが入ったりガスが通ってなかったりと困難な状況が続いているようです。この箕面市でも余震に対する不安はまだ拭いきれません。熊本のケースから考えると今日あたりも危ないとか…。英会話の子どもたちもなんとなく非日常を感じているようです。野菜の収穫をしながら、穏やかな日のありがたみを感じました。
山形開拓教会の吉持先生が奥さまとともに夜の祈祷会にデプテーションに来てくれました。テンポのいい語り口でよく準備されたプレゼンでした。地震の関係もあって参加者が少なかったのが残念ですが、山形開拓がとても身近になったように思いました。「良いことの知らせを伝える人の足は何と立派でしょう。」
近くのブロック塀が倒壊、道路もあちこち渋滞で、スーパーの水も売り切れでした。こうした非常時にはカルトの組織も世の終わりを強調します。「我々の組織が唯一の道であり、真理であり、命である。」この手の呼びかけには十分ご注意ください。
震度6弱の地震が発生してから、昨夜から今朝にかけて断続的に震度4近くの余震が続いています。高槻市を震源地として、すでに小学4年生の女の子をはじめ4人の方がなくなられました。不安な夜を過ごしている方もおられることでしょう。「あなたがたは心を騒がせてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。」
今朝は震度6弱の地震。すぐに外に出ましたが、全体的に地域は落ち着いていました。でも後で、断水、停電、ガス漏れなど被害があったことがわかりました。教会員の安否を確認した後、明日からは大雨はという予報だったので、思い切ってジャガイモの収穫をしました。我ながら、なんとも狭いところに植えたものです。どうかな…と思いましたが、初めてにしてはまずまずの収穫量でした。できるだけ多くの方々にお分けしたいと思います。
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