教会内の活動&牧師ブログ

Church Brog

教会にどんなイメージをお持ちですか?厳かに礼拝をささげるところ、敬虔なクリスチャンが集まるところ、難しい説教が語られる、年寄りが多い、信仰を勧められる…などなどのイメージがあるもしれません。でも、実際に行ってみると、堅苦しい決まりもなく、老若男女、だれもがリラックスして集えるところです。このブログは教会の日々の様子やメッセージ・デボーションの要約などを牧師の備忘録日記でご紹介しています。

(写真などの転載はご遠慮ください)


神さまいるならどうして…

今日は同い年で、優しくて思いやりがあって、仕事も何でもできる、私の数少ない友人牧師の誕生日でした。4年前、突然の召天の知らせを聞いて…神がいるならどうしてと思いました。ご家族の上に主の慰めをお祈りいたします。神は私たち一人一人の人生に計画を持っておられる。それを今、全部を知ることはできませんが、人は生きているのではなく、生かされているのだとするなら、自分のなすべきことは何だろうと思いながら、今日を過ごしています。


罪を悔い改めるなら…

Ⅰ列王記21章から。アハブはイズレエル人ナボテとぶどう園の売買交渉をしましたが、断られて激しく怒りました。それを見た妻イゼベルは、あなたはイスラエルの王なのだから欲しいものは手に入れたらいいと、結局ナボテを殺してしまいました。そこで主はエリヤを遣わしてアハブにさばきを告げると、彼もやっと自らの罪に気がつき悔い改めました。神はそんなアハブであっても憐れまれたのです。罪を悔い改めるのに遅すぎるということはありません。


対面での災害対策部…

7月第一月曜、同盟教団の災害対策部がありました。昨年発足して初めての対面部会でした。災害大国の日本において、地震、台風、大雨…もはやどこで何が起きてもおかしくない昨今です。緊急時の対応や日頃の防災・減災について注意勧告をしていくことが大きな役割です。何も起こらないことに越したことはありませんが、いざという時に備えて、至って真面目に、時に冗談も交えながら、災害について二日間に渡って話し合いました。貴重な時間でした。


信仰によってどんな時も…

7月第一主日、猛暑日の中、主になる神に礼拝を献げました。メッセージはへブル書11:29-31、モーセやヨシュアの言葉に従ったイスラエル人たち、遊女ラハブの信仰から学びました。目の前は荒れ狂う紅海、後ろからは夥しい数のエジプト軍、まさに袋のネズミ状態のイスラエルたちは、怖じ惑い、主に叫び、モーセに不満を訴えました。でも、神はモーセを通じて「恐れてはならない。しっかり立って、今日あなたがたのために行われる主の救いを見なさい」と告げられたのです。イスラエル史上、最も劇的な出来事でした。また、約束の地カナンを目の前にして立ちはだかるエリコの町の城壁。堅固な壁を突破することは不可能に思えたでしょう。でも、この時も神はヨシュアを通じて、城壁の周りを七度まわるように命じられ、見事に壁を崩されたのです。人間的な常識で、こんなことをしても埒が明かないと思っていたら、彼らはこの後の神の御業を見ることはありませんでした。最後のラハブもまた異教の地にあって、真の神を信じていました。彼女の勇気と信仰に励まされました。今日も暑い中でしたが、大勢の方とともに聖餐の恵みにあずかりました。感謝いたします。

あなたのおことばによって…

教会のデボーションはⅠ列王記18章から。いよいよ預言者エリアが登場します。カルメル山でのバアルの預言者との戦いは実に痛快でした。「あなたのおことばによって私がこれらすべてのことを行った…」その後、エリヤは長い干ばつが終わり、大雨が降ると預言します。但し、その時はすぐに訪れたのではなく、忍耐と信仰を要するものでした。「手のひらほどの小さな濃い雲…」小さな、でも、確かなしるしでした。神の御業は時至って必ず実を結ぶのです。


地域の方に開かれた教会…

毎週木曜日はハートフル英会話があります。大人クラスは和気あいあいと会話を楽しみ、キッズクラスは遊びを交えながら英語を身に着け、中高生クラスは難しい文法も楽しそうに学んでいます。ほとんどの方がクリスチャンではありませんが、地域の方がこうして来てくださることは感謝です。時折、「聖書って何?」「神さまってほんとにいるの?」「クリスチャンでなくても教会でお葬式できるのですか?」等々、いろいろなご質問を伺えるのも嬉しいことです。歯切れよく答えられるものから、曖昧にしか答えられないものありますが、関心をもってくださることが私の願いです。聖書は神さまのことばが書かれた書物です。神さまは世界を創造し、今も歴史の支配者です。クリスチャンでなくても教会でお葬式をすることはできます。「じゃあ、どうして戦争や悲しいことがなくならないの?」「人は死んだらどうなるの?」「人は何のために生きるの?」等々、すぐに答えがでないことから、教会でしか一緒に答えを見出せないこともあります。教会は地域の方に開かれた場所です。宗教は問いません。子どもも大人もシニアの方も安心して、まずは教会に足を運んでみてください。

主の目に悪であることを行い…

7月第一水曜祈祷会はⅠ列王記16章、北イスラエルでバアシャからアハブに王座が変わっていくところから。この時代の王たちの特徴は「主の目に悪であることを行い…」ということです。オムリ、アハブに至っては、彼ら以前のだれよりも悪いことをしたとあります。外面的には安泰に見えても、内側では罪に対する感覚が麻痺し、神を侮っているなら、必ずその報いを受ける時がくることを教えています。大事なのは私たちが過去の歴史から何を学ぶかです。