教会内の活動&牧師ブログ

Church Brog


教会にどんなイメージをお持ちですか?厳かに礼拝をささげるところ、敬虔なクリスチャンが集まるところ、お年寄りが多い、堅苦しいお説教を聞かされる、信仰を勧められる…など様々なイメージをお持ちかと思いますが、実際に行ってみると、堅苦しい決まりもなく、老若男女だれもが自由に集えるところです。このブログは教会の日々の様子や聖書からのショートメッセージなど牧師の備忘録日記でご紹介しています。

(写真などの転載はご遠慮ください)。

赦された者の幸い…

7月第二主日、少し湿度は高めでしたが、穏やかな週の始まりを感謝します。今日の礼拝では昨年受洗された兄弟(教会ではお互いを兄弟姉妹と呼びます)が特別賛美をしてくださいました。お話しは苦手なので…ということでしたが、賛美を通して十分に主の恵みを証ししてくださいました。礼拝メッセージは詩篇32篇から。イスラエル二代目王のダビデには大きな過ちを犯した過去がありました。自分の部下であるウリヤの妻バテ・シェバと関係を持ち、さらに彼女の妊娠がわかるとウリヤを戦死に見せかけて殺してしまったのです。普通の倫理観からすれば到底許されない言語道断のことですが、今から3000年前のイスラエル王のことですから想像の域を出ません。ただ…信仰者であるダビデは当然律法が姦淫と殺人についてどう教えているかを知っていたはずですから弁解の余地なしだったでしょう。預言者ナタンに糾弾されて、赦されるはずがない罪を抱えてもがき苦しだ様子が描写されています。そして、ついに罪を告白した時、神の赦しを体験していったのです。「幸いなことよ。その背きを赦され 罪をおおわれた人は。」詳しくは礼拝メッセージをご視聴ください。

ひまわりの日…

夏の代表的な花と言えば、ひまわりですが、明日は『ひまわりの日』です。1977年7月14日に日本初の静止気象衛星『ひまわり1号』が打ち上げられたことに由来します。ちなみに『ひまわり』という名前は、植物のひまわりが常に太陽の方向を向いているように、気象衛星も常に地球を見続けていることから名づけられたそうです。ひまわりの花言葉の一つに『あなただけを見つめる』というのがありますが、私たちの信仰もかくありたいと思いました。


敷居はありません…

教会は敷居が高いとある方が仰っていましたが、本来は『不義理や面目のないことがあって、その人の家へ行きにくい』という意味の言葉。お愛想で仰っられたのかもしれませんが、お上品で敬虔な信者が集う所と思っている方は少ないのではないでしょうか。クリスチャンになる前の自分は、一度入ったら強引に勧誘されてただでは帰れない所…と思っていましたが、それも昔のことでしょう。そもそも教会はバリアフリーですので、敷居もありません💦


ダビデは難を逃れ…

7月第二水曜祈祷会、曇りのち雨の湿度の高い一日でした。デボーションはⅠサムエル記19章から。連戦連勝で一躍人々の脚光を浴びるダビデを、サウルはついに殺害すると公に宣言しました。最初は小さな嫉妬心から「サウルは千を討ち、ダビデは万を討った」という人々の声を聞いて憎しみが湧き、やがて殺意へと変わっていったのです。理解に苦しむのはダビデでした。どうしてサウルが自分の命を狙うのか…わからない。そこへヨナタンが間に立ち、ダビデを弁護し、サウルを説得します。サウルもそれを聞いて一時は殺意を鎮めますが、すぐに心の中で抑えきれなくなり、ダビデ暗殺計画を実行したのです。でも、そこでも妻ミカルが機転を働かせて、ダビデの命を救いました。ダビデはサムエルのもとに逃げ込んで、これまでのことを全部打ち明けました。サムエルは自分が油を注いだダビデのために祈ったでしょう。すると、神の霊がサウルたちの追手を恍惚状態にして、ダビデは難を逃れ、暗殺計画は失敗に終わったのです。まるでスパイ映画を見ているような間一髪の大脱出劇でした。私たちも自分では気づかいところで神が守ってくださっていることを覚えました。

神の啓示を心に留めて…

7月第一主日、まだ梅雨も明けていないのですが、日中は35度を超える酷暑となりました。メッセージは詩篇19篇から。近代科学の父ガリレオ・ガリレイは「神は人間に向けて二つの書物を書かれた。一つは聖書、もう一つは自然である。」と言ったそうです。自然界において神は自己を啓示しておられるというのです。「天は神に栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる。」神の作品の展示会のようなこの世界にいながら、多くの人は神の存在を否定する。あるいは、都合のいい時だけ呼び出して願い事をする。…なんとも、人とは何者なのでしょう。あなたがこれを心に留められるとは…の詩篇も聞こえてきます。「主のおしえは完全で、たましいを生き返らせ、主の証しは確かで、浅はかな者を賢くする。」詩人は律法を重荷や束縛としてではなく、神との正しい関係を教えるもの、自らを悔い改めに至らせるものとして受けとめています。それらは金や蜜よりも慕わしい、それを守れば大きな報いがあるというのです。神の前に悔いた心、神を信頼する素直な心をもって、はばからずに、神を主と呼び、わが岩、わが贖い主と告白できるのはなんと幸いなことでしょう。

ダビデとゴリヤテ…

Ⅰサムエル記17章から。有名なダビデとゴリヤテの話しです。ゴリヤテは背丈が3m、完全武装の巨人。対するダビデは羊飼いの少年。戦う前から勝敗は決まっているようなものでした。しかし、主への信頼だけを武器に戦いを挑んだダビデは物の見事にゴリヤテを打ち倒したのです。まさに大番狂わせ、小よく大を制す。いつ読んでもダビデとゴリヤテの物語は私たちにチャレンジする勇気を与えてくれます。


由来は聖書から…

ハートフル英会話では隔週でチャペルタイムがあります。something like scales from Saul's eyes クリスチャンの方には自明の理ですが、目から鱗の由来が聖書だったのをご存知でしょうか(Acts9:18)。熱心なユダヤ教徒だったサウルは、イエスさまと出会ってキリスト者に変えられていきました。前例主義から解放され、新しい事に目が開かれるのは素晴らしいことです。The words of the Bible will change you.


ほどほどの信仰の悲劇…

7月第一水曜祈祷会、今日も梅雨曇りの一日でした。今日のデボーションは聖書の中でも理解に苦しむ箇所の一つ、Ⅰサムエル記15章から。サムエルはイスラエルの初代王サウルに言いました。「今、行ってアマレクを討ち、そのすべてのものを聖絶しなさい。容赦してはならない。」サウルにしてみれば、なぜ…と言い返したくなるところですが、彼はしくしくと戦いの準備をし、谷で待ち伏せして見事アマレク人を打ち破りました。そして、敵国の王を生け捕りにし、肥えた羊や牛の最も良いものを惜しみ、つまらない値打ちのないものだけを聖絶したのです。サウルはアマレク人との戦いに勝利すればいいのであって、最良の羊や牛まで聖絶することはないと思ったようです。つまり、自分の考えを優先して神の命令をほどほどに割り引いて従ったのです。主のことばがサムエルに臨みます。「わたしはサウルを王に任じたことを悔やむ。」神の失望と落胆がいかに大きいかを表す表現です。サムエルに悔い改めを迫られても、全く悪びれる様子もないサウルの姿は、どこか人間の本質を表しているようにも思います。神、、熱くも冷たくもない、生ぬるい信仰を嫌われるのです。

人生で最も大切なこと…

6月第五主日、朝から梅雨らしい小雨の降る湿度の高い一日となりました。礼拝メッセージは伝道者の書12章から。「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。」それは若者だけに向けた言葉ではなく、老いも若きも今日が一番若い日であるゆえに、今日あなたの創造者を覚えよという勧めです。だれもが年を取り、体も弱り、やがて死の日が訪れる…そうなる前に人生の大切な決断を先延ばしにしてならないというのです。ソロモンはこの伝道者の書を記すのに、思索し、探求し、まとめたとありますから、彼が心血を注いだことがわかります。それでも「空の空。伝道者は言う。」から始まる本書は当時の人でも理解するのは大変だったかもしれません。でも、読めば読むほどに神の奥深いメッセージが表されていくような不思議な書物でした。礼拝後、ソロモンについて、モーセやダビデとは違って信仰者として決して立派な人物ではなかったのでは…という声もありましたが、そういう完ぺキではない人をも用いられる神さまのご計画を思いました。「結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ、神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。