





教会のデボーションはレビ記から。前書の出エジプト記の終わりは、幕屋建設、備品、祭司職の長服など、主の栄光が幕屋に満ちていたことが記されていました。それに続いて神はこのレビ記で、罪深い民がいかにして聖なる神との関係を持つことができるかについて明確な指導と新しい生き方を示されました。これらの指導は聖なる神と私たちの関係を軽く見てしまうことを避けるための助けとなります。今日の私たちは動物のいけにえなど時代遅れに思うかもしれませんが、中東では多くの文化において習慣的に行われていました。神は目に見えるいけにえをささげる(屠る)という形式を用いて、民の罪と神の聖さについて教えられたのです。旧約聖書において、イスラエルのいけにえの中で最も多く言及されるのが全焼のいけにえです。その意義は、文字通り、いけにえのすべての部分を祭壇で焼くことです。神はこのいけにえによって奉献者の罪を赦し、罪なき者と見なしてくださるのです。でも、大事なのは、献げるものより献げる者の心です。「砕かれたたましい、砕かれた、悔いた心。神よ、あなたをそれをさげすまれません。」礼拝を献げる私たちの心はどうでしょう。