12月アドベント第二礼拝、冷たい空気が頬に当たる朝ですが、教会はいつものように温かな神の愛に包まれる礼拝を献げました。メッセージはルカ1:26ー55マリアのもとに御使いによる受胎告知がなされたところから。処女降誕は神にとってはごく細やかな奇跡だったでしょう。神が人となられたということ、これこそはるかに大いなる奇跡です。一層驚くべきは、ほかならぬ自分が神の母として選ばれるという御告げを、このごく普通乙女が信じたということです。「どうしてそのようなことが起こるのでしょう」という思いから、「どうぞ、あなたのことば通り、この身になりますように」という信仰に変えられていったマリア。疑い、戸惑いを覚えつつも、みことばに信頼して歩もうとする、その健気な姿は今日の私たちにも大切な信仰者のあり方を教えています。ただ、プロテスタントの教会はそんな彼女を敬愛することはあっても、崇拝することは致しません。カトリックの教会も崇敬であって崇拝ではないと言われますが…聖母、聖人という言葉はいかがなものなのでしょう。神はこの卑しいはしために目を留めてくださったというマリアの信仰に、私は共感するところです。