風に吹かれて金木犀の甘い香りがしてきました。昨日は旧約聖書を学ぶ会があり、出エジプト記12章から主が過越の祭りと種なしパンの祭りを定められたところを学びました。それは単なる祭りではなく、イエスさまの十字架の贖いを指し示すものでした。また、今日の水曜祈祷会ではイザヤ書30章を読みました。神の御心を求めず、罪に罪を増し加えるばかりの南ユダの指導者に対して、預言者イザヤはその先にあるのは滅亡しかないと語ります。さらに、真の神にではなく、最も近い大国エジプトに助けを求める彼らに向かって、イザヤは「彼らは助けとならず、役にも立たない」と訴えました。彼らはそんなイザヤに対して、「われわれに心地よいことを語り、だましごとを預言せよ」と言い出す始末。もはや問答無用で神の裁きが下っても仕方がないと思う場面で、イザヤは不思議なことを語りました。「もうあなたは泣くことはない。あなたの叫ぶ声に応え、主は必ず恵みを与え、それを聞くとき、あなたに答えてくださる。」目と耳を疑うような記述。神の裁きは滅ぼすことが目的ではありません。神はどこまでも恵みとあわれみを与えようとして待っておられるのです。