主のぶどう園へ…

10月第一主日、今日は宣教区講壇交換で学園前聖書教会の吉田篤師が来てくれました。礼拝メッセージはマタイ20:1ー16、有名なイエスさまの天の御国のたとえから。「天の御国は自分のぶどう園で働く人を雇うために朝早く出かけてた主人のようなものです。」主人は、9時、12時、15時、17時と出かけて行き、みな同じように一日一デナリの約束をしました。そして、夕方になって賃金を貰う時がくると、朝から働いている人たちは多くもらえると思ったら、約束通り一デナリでした。しかも最後にきてたった一時間しか働かなった人たちも同じ賃金だったのです。これには朝から働いた人たちは主人に不満をもらしたというのです。『主人』はイエスさまを指しています。また、約束した一デナリを『救い』として考えるなら、早くから働こうが、遅くから働こうが、ともにその恵みにあずかることを一緒に喜びたいものです。イエスさまがくださる救いは成果主義や行為義認とは無関係の恵みによる賜物です。私たちはともすると自分は朝や昼から働いている者だと思いがちですが、実は夕方頃に雇われた者なのかもしれません。今日、自分にできる精一杯の奉仕を献げましょう。