主の忍耐こそ…

9月第四水曜祈祷会、秋風が気持ちのいいさわやかな一日でした。デボーションはイザヤ書11章から御言葉を学びました。北イスラエルを滅ぼすアッシリヤ帝国の滅亡を告げた後、イザヤはメシヤの来臨について預言しました。「エッサイの根株から新芽が生え、その根から若枝が出て実を結ぶ。」切り倒されてわずかに残った切り株…でも、そこから芽が出て枝になり成長して、ついには豊かな実を結ぶ。およそ絶望的だと思っていた状況に、まだ希望が残っているというのです。時代がどうあれ、世の価値観がどうであれ、神を信頼し、神の言葉に生きる者は、終わりの日、主は再び御手を伸ばし、ご自分の民の残りの者を買い取られるのです。イエス・キリストは、私たちの贖い主です。「贖う」とは、「代価(犠牲)を払って買い戻す」という意味があります。私たちの救いには、キリストの命という大きな代価が支払われました。あとはその救いを感謝して受け取るだけです。神は私たちの口を強制的にこじ開けて、救いを突っ込むようななさいません。あくまで自分から心開いて救いを受け入れることをひたすら待っておられるのです。主の忍耐深さこそ、私たちの救いです。