残暑厳しい折、昨日は旧約聖書を学ぶ会で出エジプト記11章を、今日は水曜祈祷会でイザヤ書4章を読みました。「主はファラオの心を頑なにされ」神はファラオに強制的に神を否定するようにされるだろうか。いや、むしろ彼には自分の考えを変える機会が幾度もあった…。聖書を部分的に解釈するのではなく、文脈に即した解釈、あるいは聖書全体の一貫性から読み解く大切さを覚えました。「その日、七人の女が一人の男にすがりついて言う」神のさばきの言葉を告げる預言者の使命を思いました。ユダの繁栄の時代、人々はイザヤの言葉をどう聞いたのか。自分たちには関係がないと高ぶり続けたのか、中には悔い改める人もいたのか…。詳しい解説は動画を見て頂ければと思います。余談ですが、昨日も今日もエホバの〇〇の女性が二人組で教会の前を通られました。昨日は時間があったので、声をかけて立ち話をして頂きました。死海写本、テトラグラマトン、七十人訳聖書…専門用語がポンポン出て来て、よく学んでおられるなあと思いつつ、最後に『ところで、聖書は読んだことがありますか』と聞かれてガクッと。最初に『牧師をしています』と言ったのですが…。