光の子どもらしく歩む…

天高く馬肥ゆる秋、教会に来てくださっていた方の納骨式がありました。年齢を重ねると新しいことを始めるのが億劫になると言ったりしますが、その方は80歳を過ぎて信仰を持ち、洗礼を受け、聖書を学ばれました。会社経営もされた人望の厚い方ですが、非常に謙遜で、私の拙い話しをいつもニコニコしながら聞いてくださったのが印象的でした。最後にお見舞いに行った際、私たち信仰者にある希望について話しができたのは幸いでした。食事をして帰る頃に、突然の夕立がありましたが、すぐに止んでその後は綺麗な虹がかかりました。義理堅い方でしたので、ありがとうと仰ってくださっているのかなと感じました。さて、水曜日は久しぶりにいつもの祈祷会がありました。エペソ5章から「光の子どもらしく歩む」をテーマにみことばを学びました。私たちはまず、神に愛されている子どもらしく、神に倣う者になりなさいと勧められ、今は主にあって光となったので、光の子どもとして歩みなさいと勧められています。「神に愛されている」「光となりました」いずれも完了形です。つまり、いつかそうなるではなく、今そうであることが、…らしく歩む一歩を生むのです。