ほどほどの信仰の悲劇…

7月第一水曜祈祷会、今日も梅雨曇りの一日でした。今日のデボーションは聖書の中でも理解に苦しむ箇所の一つ、Ⅰサムエル記15章から。サムエルはイスラエルの初代王サウルに言いました。「今、行ってアマレクを討ち、そのすべてのものを聖絶しなさい。容赦してはならない。」サウルにしてみれば、なぜ…と言い返したくなるところですが、彼はしくしくと戦いの準備をし、谷で待ち伏せして見事アマレク人を打ち破りました。そして、敵国の王を生け捕りにし、肥えた羊や牛の最も良いものを惜しみ、つまらない値打ちのないものだけを聖絶したのです。サウルはアマレク人との戦いに勝利すればいいのであって、最良の羊や牛まで聖絶することはないと思ったようです。つまり、自分の考えを優先して神の命令をほどほどに割り引いて従ったのです。主のことばがサムエルに臨みます。「わたしはサウルを王に任じたことを悔やむ。」神の失望と落胆がいかに大きいかを表す表現です。サムエルに悔い改めを迫られても、全く悪びれる様子もないサウルの姿は、どこか人間の本質を表しているようにも思います。神、、熱くも冷たくもない、生ぬるい信仰を嫌われるのです。