6月第二水曜祈祷会、ガラテヤ人への手紙4章から。パウロはガラテヤの諸教会にユダヤ主義者たちが現われ、救われるためには割礼を受けなければならないと言って人々を惑わしていることを聞きました。そうした問題に対して、今日の所でも旧約聖書の創世記を紐解いて、女奴隷の子と自由の女の子の比喩から、あなたがたはイサクのように約束の子どもですと記したのです。パウロの手紙は読んでいて難解に思う箇所もありますが…そもそも二千年の時を経て、文化も生活習慣も全く異なる時代の手紙を読んでいるのですから、何が言いたいのか容易にわからなくても仕方のないことで、むしろ理解できることの方が驚きでしょう。自分に置き換えてみれば、イエスさまを信じたばかりの頃、不甲斐ない信仰生活を顧みて、こんなんでクリスチャンと言えるだろうかと悩んだ時期がありました。でも、「兄弟たち、あなたがたは…約束の子どもです。」というパウロの言葉は力強く、勇気が湧いてくる言葉です。私たちは何をもって自分が救われていると確信するのかと言えば、御言葉の約束です。救いの道は、平均台のような細い道ではなく、大通りのような恵みの道なのです。