2月第二水曜祈祷会ではマタイ17:14‐27を読みました。イエスさまが三人の弟子たちと山から戻ってくると、ある人が自分の息子を憐れんでくださいと懇願してきました。息子はてんかんで大変苦しんでいて、弟子たちのところに連れて行っても、治すことができませんでした。イエスさまは思わず「ああ、不信仰な曲がった時代だ」と嘆息し、弟子たちに代ってその子から悪霊を追い出されたのです。弟子たちが自分たちに追い出せなかった理由をそっと尋ねにいくと、イエスさまは明確に答えられました。「あなたがたの信仰が薄いからです。…からし種ほどの信仰があるなら、この山に『ここからあそこに移れ』と言えば移ります。あなたがたにできないことは何もありません。」信仰は量が問題なのではなく、質が問題です。半信半疑の信仰、あるいは神がいるなら証拠を見せろという人には、このイエスさまの言葉の真意は伝わらないでしょう。私たち自身は無力でも、私たちにとって幸いなのは、この無限の力をもった神を知っていることです。ある本の一節を思い出します。『パスカルが言ったように、神を信じて我々が失うものは何もなく、得るものは無限である。』