1月第五水曜祈祷会、マタイ13章にはイエスさまが群衆に向かって御国の奥義について語られた幾つかの話しが記されています。その最初の話しが『種を蒔く人のたとえ』です。教会学校でも定番の箇所ですが、あらためて読み直すと多くの励ましがあります。ここには農夫が蒔いた種が、道端、土の薄い岩地、茨の間に落ちた結果、良い実を結ばなかったこと、でも、良い地に落ちた種は実を結び、100倍、60倍、30倍になったとあります。農夫にとって大事なのは、無駄な労苦に思えることもあること、そして結果を見るには忍耐が必要なことです。『種』はみことば、『畑地』はそれを聴く人の心の状態を表しているとしたら、わかりやすいかもしれません。ただ、イエスさまがたとえで話す理由は、単にわかりやすくするためではなく、聞く耳のある者(聴こうする意志を持つ者)にはもっとわかるように、そうでない者にはさらにわかりにくくすることです。イエスさまの福音は奥深いと思わされます。数年前の、2000年前の種が発芽した…というニュースを思い出しましたが、私たちに命じられているのは福音宣教、その結果はすべて主にゆだねて待ち望みたいと思います。