1月第二主日、今日の礼拝ではマタイ6:19‐34からメッセージを聴きました。イエスさまのもとには弟子たちをはじめ病人や生活に困窮する人々が大勢集まっていました。イエスさまはそうした人々に心配しなくてよいと言われたのです。「心配」とはくよくよと思い煩ったり、必要以上に不安になることを意味しました。生活のこと、健康のこと、仕事や将来のこと、家族や人間関係のことまで…誰もがみな心配を抱えて歩んでいます。それはいつの時代も同じです。「まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます。」いくら心配しても先のことはだれにもわかりません。でも、先のことを計画しておられる方がだれであるかを私たちは知っています。心配から解放される秘訣は神を信頼することです。ある方が、イエスさまの時代の人々から見れば、現代人はずっとずっと恵まれている訳で『それでも心配するのはどういうことなのだろう』と思うに違いない…と言われていたのが印象的でした。礼拝後は成人祝福式を行いました。お休みの青年もいましたが、新成人たちの新しい出発が祝福されるように心からお祈りしています。