11月第二主日、立冬も過ぎ暦の上では冬を迎え、先週とは打って変わって、今日は肌寒く感じる一日でした。メッセージはイザヤ書53章後半から。「彼は痛めつけられ、苦しんだ。だが、口を開かない。…しかし、彼を砕いて病を負わせることは、主のみこころであった。」キリストは私たちすべての者の咎を負って、痛めつけられ、黙って苦しみにあわれました。不正な裁判によって、犯罪人の一人として卑しめられ、十字架にかかり死んでいかれました。それは主のみこころであって、キリストは最後まで従順に成し遂げられたのです。でも、神はこの方を死からよみがえらせ、彼を信じる者たちに永遠のいのちをお与えになりました。そして、キリストは今も生きておられ、ご自分の民のためにとりなしをしておられるのです。イザヤの時代にはこの「しもべ」がだれを指しているのか、それが一体何を意味しているのかを悟る人は少なったでしょう。だれもそれが自分の救いのためであることがわからなかったのです。それはこの時代の私たちも同じです。イザヤ書53章を読んで、あらためて自分の罪深さ、贖いの代価の尊さ、救いの確かさを心に刻みました。感謝いたします。