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11月第一主日、11月とは思えないような夏日の一日でした。礼拝メッセージはイザヤ書53章前半から。イザヤ書はここで、まるでカメラのピントが合うようにはっきりと一人の人物を描き出します。この方は、見るべき姿も輝きもなく、私たちが慕うような見栄えもない、人々が顔を背けるほど蔑まれ、…尊ばれない方でした。「しかし彼は、私たちの背きのために刺され、私たちの咎のために砕かれたのだ。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、その打ち傷のゆえに、私たちは癒された。」旧約聖書中、これほどはっきりとイエスさまの受難が描き出された箇所は他にないでしょう。読めば読むほど、ここに福音の真髄が示されています。午後からのバイブルクラスでもイザヤ書53章を分かち合いしたが、ある方が、ユダヤ教のある一派の方はこの章を読むことを禁じているそうですと話されました。確かに、イエスさまをメシアと認めない立場の方には、イザヤ書53章を読むのは辛いでしょう。寄る年には勝てず、私も老眼をかけるようになりましたが、文字がよく見えるようになりました。色眼鏡でなく、聖書というメガネをかけるなら、新しい人生が見えてくると思います。