教会のデボーションはヨハネの手紙第一に入りました。この手紙は他のパウロなどの手紙と違って、差出人の名前も宛先も記されていません。ヨハネは最初の挨拶なしで、いきなり神について信仰について自分の考えを述べ始めます。「初めからあったもの、私たちが聞いたもの、自分の目で見たもの、じっと見つめ、自分の手でさわったもの、すなわち、いのちのことばについて。」いのちのことばとはまさにイエスさまのことです。ヨハネはイエスさまと3年間一緒に暮らし、直接弟子として訓練を受けました。当時手紙の受取人たちの教会にはいわゆるグノーシス主義の異端グループが入り込み、イエスが受肉されたキリストであることを否定し、罪を軽く考え、キリストの救いのわざを無意味なものにしていました。ヨハネはそうした状況を聞いて、クリスチャンが誤った教えに惑わされず、健全な信仰理解に基づき、健全なキリスト者生活を生きる愛の共同体として前進してほしいと愛と祈りを込めて記したのです。今日の教会もイエスさまの十字架と復活の事実を語らずにはいられません。そして、この方は今も生きておられ、私たちの祈りを聞き、ともにおられるのです。