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10月第一水曜祈祷会、コロサイ書1:1-20から。牢獄にいるパウロはコロサイの教会の中に異端的な教えが入り込んでいることを聞いて手紙を書きました。パウロ自身はコロサイの教会に行ったことがありませんが、いつもあなたがたのことを祈っていますと記します。そして私たちの信仰は天に蓄えられている望みに基づいているというのです。それは天の御国、救いの完成、先に召された神の家族との再会…などが挙げられるでしょう。その時には私たちが神に完全に知られているのと同じように、私たちも神の御心を完全に知ることになるのです。私たちは苦難や挫折を経験すると『主よ、なぜですか…』という言葉が出てきてしまいますが、神はその問いには答えられないでしょう。仮にその答えを知ったとしても、納得できず…もっと苦しむかもしれません。すべての答えは天国に行った時にわかります。それも天にある望みと信じて、主を信頼して歩む者でありたいと思います。