教会のデボーションはヨエル書に入りました。旧約聖書に「ヨエル」という名前は何度か出てくるのですが、「べトエルの子」というのはここだけで謎の多い書簡です。「主の日が近い」が強調され、悔い改めて主を呼び求めよと命じます。主の日は、神に背を向けた者に対するさばきの日であると同時に、神を信じる者にとっては救いの日です。この日をどんな気持ちで迎えるかは、今という日があるうちに決めなければなりません。その時になって「なぜ…」と叫んでも後の祭りです。ヨエル書1章にこれほど主の日の恐ろしさが描写されているのはその切迫感・緊張感を表していると言えるでしょう。神を信じるか、信じないかは、もう少し考えたいという方もいますが、結局信じないとわからないことを信じる前にいくら考えても仕方がないのではないでしょうか。信仰とはまさに決断です。そして人生は決断の連続です。ノアの箱舟の扉が閉まらないうちにぜひ主のふところへ。