教会のデボーションはⅡコリント7章から。「神のみこころに添った悲しみは、後悔のない、救いに至る悔い改めを生じさせますが、世の悲しみは死をもたらします。」パウロは『みこころに添った悲しみ』と『世の悲しみ』とを対比して記しました。人である限り、罪の誘惑は絶えずつきまとい、罪は私たちを神から引き離そうと試みます。イスカリオテのユダは銀貨30枚を得るためにイエスさまを売り渡し、その後悔の念に堪え切れず、最後は自らの命を絶ってしまいました。一方、ペテロも迫害に遭うことを恐れて思わずイエスさまを知らないと三度も言ってしまい、自らの弱さに打ちひしがれていたことでしょう。復活の主はそんなペテロの前に現れて、「あなたはわたしを愛していますか」と三度尋ねられたのです。ユダの悲しみは死をもたらし、ペテロの悲しみは救いに至る悔い改めを生じさせました。明日の主日礼拝、私たちも主が現れてくださる幸いを覚えたいものです。