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8月第五水曜祈祷会は士師記19章から学びました。「イスラエルに王がいなかった時代のこと」とは、イスラエルがそれぞれが自分の目に良いと見えることを行っていた、言わば無法状態にあったことを示す表現です。神との正しい関係がないところでは、必ずこの地上に不法と不信の行為が蔓延していきます。ベニヤミンに属するギブアで起こった事件はソドムの不品行(19:1-9)にも匹敵する出来事であり、本来ならば、天からの火で焼き滅ぼされても仕方のないことです。どうしてこんな記述が聖書に残されているのか…と読んでいて嫌気がさしてくる箇所ですが、彼らの悪行が今日の世界と決して無縁ではないことを思います。いつの時代も、人間の罪の本質、痛ましい事件、戦争や自然災害はなくなりません。ただ神の忍耐が主の日の到来を遅らせていること、他人の罪にはよく気づいても、自分の罪の深さに気づかなければ、悔い改めて救いの道を見出すことはできないのです。