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教会のデボーションはヨシュア記10章から。ヨシュア記はパレスチナにおけるイスラエルの民の戦記です。主はイスラエルの民がエジプトにいた時、乳と密の流れるカナンの地を与えると約束されました。ところが、そこは決して乳と密の流れるようなのんびりした楽園ではなく、すでに彼らが移住する余地もないほど先住民が住んでいたのです。従って、彼らはその約束の地を戦いによって勝ち取らなければなりませんでした。思えば、使徒パウロも「私たちは、神の国に入るのに、多くの苦しみを経なければならない」と語っていました。同じように、私たちも今日戦わずして神の嗣業を受け継ぐことはできないことを覚えておきたいものです。クリスチャンになれば何もかも人生が上手くいくわけではありません。むしろ、信仰ゆえに問題は多く感じるかもしれませんが、神のいない人生ほど虚しいものはありません。神がいるからこそ、私たちが受ける苦難には意味があるのです。