教会のデボーションは創世記32章から。叔父ラバンの一隊があきらめて温和しく帰っていくのを見届けると、ヤコブたちは安心して一路故郷へブロンへの道を進みます。ただし、帰る先には父とともに兄エサウが待っています。兄は20年前の事をまだ恨んでいるのではないか…。次第にヤコブは恐れを抱き、あの手この手と兄の心を宥める作戦を考えます。それでも不安が拭えないヤコブのもとに、ある人が現われて、夜明けまで格闘しました。「ある人」とは神の使いと考えられます。ある人は不安な状態にあるヤコブを力づけるとともに、傲慢にならぬようにとももの関節を外して、彼の自我を砕かれました。ヤコブはそのような中で神の祝福なしに生きていくことができない自分を発見したのです。今日は全国キリスト災害ネットの全体会がZoomで行われました。講師の先生が、災害支援の働きは災害よりもそこに現れる神の愛を見ることですと言われたのが大変心に残りました。