3月第三主日、春風を感じる一日でした。礼拝では最後の晩餐における洗足の記事からみことばを心に留めました。イエスさまは夕食の席から突如として立ち上がり上着を脱いで、自ら手拭いやたらいの水を準備して弟子たちの足を洗われました。その姿には弟子たちもさぞかし驚いたでしょう。自分たちの中で誰が偉いかを争っていた彼らの中にはその役を引き受ける者がいなかったからです。ペテロは思わず、とんでもない!と辞退しました。でも、その行為こそが罪の聖めと赦しを象徴していたのです。「わたしがしていることは今はわからなくても、後で分かるようになります。」私たちの人生はすぐにわかるものとすぐにわからないものの二種類があります。イエスさまに足を洗って頂くのは、この方を信頼してその身を任せることです。ユダの足も洗われたイエスさまは私たちの足も洗ってくださいます。そして、今はわからなくても、その意味は後で分かると言われるのです。