教会のデボーションはエゼキエル26章に入りました。他人の失敗や不幸を喜ぶことを『シャーデンフロイデ」と言うそうですが、他人の不幸は蜜の味と思う人間の本質は昔も今も同じです。神はエゼキエルを通して、荒れ果てたエルサレムをあざ笑う周辺諸国に対して裁きの預言を告げられます。ツロは地中海貿易で栄え、経済的にも非常に豊かな都市で、また防衛面でも難攻不落を誇っていました。しかし、そんな高慢と虚栄の罠に陥っていたツロに向けて、主は「わたしはおまえを敵とする。…多くの国々をおまえに向けて攻め上らせる。」と宣告されたのです。そして、エルサレム陥落後、この神の預言は文字通り、実現しました。エルサレムの滅亡を喜んだツロが自分も同じように滅びていったように、他人の不幸を喜ぶ人は自分も同じような不幸を味わうことになる。他人の不幸を見たら、自分自身も同じ罪を犯していることを思い、悔い改めのきっかけとしたいものです。