秋晴れのさわやかな天気のもと第三主日礼拝を献げました。礼拝メッセージはⅠテサロニケ5:1‐11で、パウロが主の日の備え方について記したところでした。「その時と時期については、あなたがたに書き送る必要はありません。」迫害の中にあるテサロニケの教会にとって主の日がいつなのかは深刻な問題でした。パウロはその日は盗人が夜やって来るように突然にしかも必ず訪れると言いました。ただその日がいつなのかは誰も知りません。だからその日がいつ来てもいいように、生活を整えておきなさいというのです。私たちはすでに暗闇の中にはおらず、光の子どもとして頂きました。その根拠はイエス・キリストの贖いのゆえです。キリストを信じるは神の御怒りを受けることがなく、永遠のいのちの希望がある。それは何と幸いなことかと思います。どんなに財産を貯えても、人々の称賛を受けても、この幸いには敵いません。あなたはこの幸いを受け取っておられますか。