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10月第二水曜祈祷会、エゼキエル22章から。エルサレム陥落の預言が告げられました。聖なる都エルサレムが流血の都となる。それは、イスラエルの民が自らのただ中で血を流し、自らの偶像を造ったことが大きな要因でした。主はそんな彼らに「イスラエルの家はわたしにとって金かすとなった」と告げられました。こうして神を恐れないエルサレムの人々の行動に対し、主の厳しい審判が下るのです。でも、その厳しい審判の裏側には神の嘆きと悲しみがありました。「この地を滅ぼすことがないように、わたしは、この地のために、わたしの前で石垣を築き、破れ口に立つ者を彼らの間に探し求めたが、見つからなかった。」破れ口に立つ者とは、神と人との間に立って、とりなし手となることです。神の御心は悪しき者たちの死ではなく、彼らがその生き方から立ち返って生きることです。神はこの時代も、私たちクリスチャンに破れ口に立つ使命をお与えになっているのです。