教会のデボーションは哀歌3章に入りました。南ユダの滅亡と惨劇を悲しんだ歌。なぜ神はご自身の民を苦難から助けられなかったのか。「私は、主の激しい怒りのむちを受けて苦しみにあった者。主は、私を連れ去り、光のない闇を歩ませ…」私たちの人生にも、目の前が真っ暗になるような絶望の谷に落とされたと感じる時があるのではないでしょうか。私の場合は父の自死の時がそうでした。数日前から少し様子が変だな…と感じていながら『大丈夫?』の一言でも優しい声をかけてあげることができませんでした。自暴自棄に陥った私は祈る気にもなれず、聖書を破り捨て、神のことなどどうでもいいと思いました。そんな塞ぎ込む私の心に主の御声が聞こえてきたのです。…わたしはあなたの信仰がなくならないように祈っている。イエスさまがともにいてくださると感じた瞬間でした。今、神に見捨てられたように思う方…教会で一緒に祈りつつ、気持ちの整理をされませんか。