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3月第四主日、大阪も例年より少し早く桜の開花宣言がでました。礼拝はマルコ14:32から、ゲッセマネでのイエスさまの祈りの姿から学びました。イエスさまが十字架の死を前に「わたしは悲しみのあまり死ぬほどです」とはなんと頼りないことか、そもそも神の子なのだから改めて祈らなくても父の御心くらい分かっていたはずでは…と思われる人もいるようです。でも、イエスさまの悲しみ悶える姿こそ、人間の罪の現実がこれほどまで悲しく激しいものであることを示しているのではないでしょうか。また、罪のない方が、神の裁きを受けられる恐れ、全人類の罪を一身に背負われる重圧、神にも人にも見捨てられる絶望感…それらは誰も味わったことがない、筆舌に尽くしがたい苦難だったに違いありません。「わたしの望むことではなく、あなたがお望みになることが行われますように」私たちも祈りによって自我を乗り越え、父の御心に従う者にならせて頂きたいものです。