2月第二主日、春の足音を感じる暖かな陽射しが差し込む教会で礼拝を献げました。ルカ19:41~、人々が歓声を上げる中、イエスさまはエルサレムの都を見て泣いておられました。なぜなら人々の歓声も数日後には「十字架だ、十字架につけろ」と豹変し、また、平和の都エルサレムもAD70年にはローマ軍によって陥落することを主はご存知だったからです。「もし、平和に向かう道を、この日おまえも知っていたらー」神の訪れの時が来ているのに、それに気づかない人々の愚かさを悲しんでおられるイエスさまの姿を思いました。今のロシア軍によるウクライナへの侵攻も、主はずっと前からご存知であって…だれよりも心を痛めておられたことでしょう。一日も早く事態が収束することを、一人でも多くの命が助かることを、心からお祈りしています。その日が来てからでは遅すぎる。主がこの事を許されたのであれば、人類はこの事からも学ばなければならないと思います。