教会のデボーションは申命記18章から。ここには祭司、偶像礼拝の禁止、預言者について記されています。イスラエルの民が約束の地に入って後、整えられていくために一つ一つ重要な事柄です。祭司は「主の御名によって奉仕に立つ」と言われています。その中心の働きは祈りと御言葉の説き明かしです。それは、今日の牧師の働きにも通じるものだと思うと身の引き締まる思いがしました。9節からは「異邦の民の忌み嫌うべき習わしにまねてはならない」とあります。神のことばを求めず、卜者や占い師のことば、また、神以外のものを頼りにする…こうした問題は現代の私たちも気をつけなければなりません。今日は宣教区の牧師会がオンラインであり、長時間の会議でしたが、同労の先生方との交わりとお証しに励まされました。コロナ禍にあって各教会とも厳しい現実の中を通らされていますが、神の目には『神の国』は確実に完成に向かって近づいていることを思いました。