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教会のデボーションはヨブ記21章になりました。二度目のツォファルの語りかけに対するヨブの答えです。絶望の淵に立つにヨブに、友人たちはなんとかして彼を慰めようと説得を試みます。そこでヨブはこの二度目の会話の終わりに、自分が必要としているのは安易な慰めの言葉ではないこと、ましてや説得や非難を受けることなどではないと訴えます。自分の語ることに耳を傾けてほしい…それを自分への慰めにしてほしい…と。友人たちの説得は、不幸が誰かを襲うのはその人が神と人間に対して罪を犯したからだ、悪しき者は裁きを受けるということです。ヨブの答えは、では…私は悪しき者なのか、悪しき者だって長寿を全うし、子孫も財産も与えられている、それが現実ではないかということです。あらためて祝福と繁栄とは何かを考えさせられます。困難の中でこそ、この世の価値観に振り回されないようにしたいものです。主は言われました。「心の貧しい者は幸いなり」