10月第三水曜祈祷会、ヨブ記11章から。三人目の友人ツォファルが満を持してヨブに語りかけます。「ことば数が多ければ、言い返されないだろうか。人は唇で義とされるのだろうか。」先のエルファズ、ビルダデの語りかけに対し、ヨブは実に言葉巧みだと批判します。ツォファルも、ヨブの受けた災いはヨブ自身に問題があると見ていました。そして、二人の友人と同じく彼も、因果応報の考えに基づく神への悔い改めを、ヨブに迫ります。そうすればヨブの苦しみは取り去られ、その繁栄は回復されるのだというのです。最初から自分の答えを持っているツォファルの言葉は、たとえ正論だったとしても…ヨブの心を慰めるどころか、極めて辛辣なものです。こうして、ヨブはますます自分のことをだれも理解してくれないと思っていくのです。私自身も、知らず知らずのうちに聴き手になれず、正論をかざして相手を言い伏せてしまっていることはないか…考えさせられました。