7月第一主日は梅雨の晴れ間の一日でした。コロサイ人への手紙もついに終わりのあいさつから。改めて思うのは、この時のパウロはローマの牢獄に捕らえられ、裁判を待っている状態だったことです。でも、この手紙にはそんな苦難の中の嘆き節は一切見られず、恵みに始まり、恵みをもって閉じられています。パウロは代筆者を介して、コロサイの教会を思いながら一つ一つの言葉を丹念に選んで手紙を記していったのでしょう。そして最後に記したのは自分と一緒にいる同労者たちの消息でした。ティキコ、オネシモ、アリスタルコ、マルコ、ユストと呼ばれるイエス、エパフラス、ルカ、デマス…ともすると何気なく読み飛ばしてしまいそうな名前の羅列ですが、その中にもパウロの伝えたいメッセージが込められていました。私たちも一人ひとり、至らぬ点や不甲斐ないところもありますが、主にあって新しくされ、互いに助け合い、祈り合う交わりであることを感謝いたします。