教会のデボーションはⅡ歴代誌7章から。ダビデから王位を継承したソロモンは神殿建築に心血を注ぎ、見事に完成させました。6章のソロモンの奉献の祈りはまさに万民待望の思いがつまった力強い祈りです。あらためて主の宮は神と人とが出会う場、祈りの家であることがわかります。「わたしあなたの祈りを聞き、この場所をわたしにいけにえを献げる宮として選んだ。」今の私たちには、教会こそ、その祈りの家です。ここから4年前の献堂式のことを思い返しました。教会はなんのためにあるのか…。もちろん、そこで神に礼拝をささげることが中心です。ただ…ややもすると人間的な思いに偏り過ぎる傾向があるようにも思います。居心地の良さ、兄姉に会える、聖歌が歌える、説教を聞くこと…なども、大事な要素です。でも、それだけにとどまるなら不十分と言わざるを得ません。私たちの教会は、何より神と人との出会いの場、祈りの家であることを心に留めたいものです。