3月第四主日、今日は受難週を覚える礼拝でした。「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」人間が口にする言葉でこれほど絶望的な言葉があるでしょうか。罪のない方がどうしてこれほどの苦難に遭わなければならなかったのか。十字架から降りようと思えばいつでも降りられたはずなのにどうして降りられなかったのか。父なる神はどうして御子を助けられなかったのか…。私たちの人生にもどうしてこんな悲しみ、苦しみがあるのか、そして神は私を見捨てられたのかと思うことがあります。でも、そうした苦難の疑問にイエスさまの言葉は確かな答えを示しておられます。それは御子を十字架にまでかけられた神は、私たちを決して見捨てられないことです。イエスさまの言葉から、神の刑罰の厳しさ、罪人を愛される神の愛、救いの約束の成就が表されていました。今日は午後から特別に洗礼式の時を持ちました。主の祝福を心からお祈りいたします。