3月第三主日は恵みの雨の始まりでした。礼拝メッセージはマタイ27:11から、総督ピラトの前で裁かれるイエスさまの姿を覚えました。ピラトは最初からこの裁判が祭司長たちのねたみによるものであることを知っていました。にもかかわらず、イエスさまは自分にとって不利な証言をされても何もお答えにならず、群衆が「十字架につけろ」と叫んでも毅然として十字架刑の判決をお受けになったのです。万物の創造主である方が、人となってこの世に来られ、私たちと同じように人生を歩み、ただ私たちの救いのために十字架への道を歩まれました。「彼は痛めつけられ、苦しんだ。だが、口を開かない。…しかし、彼を砕いて病を負わせることは、主のみこころであった。」イエスさまにとって十字架が避けられないことであったように、人生には避けられない苦難や試練があります。しかし、勇敢であれと言われたイエスさまの言葉を心に留めて、今週も歩み出したいと思います。