3月第二主日はイエスさまのゲッセマネの祈りからメッセージを聴きました。イエスさまの苦悩、孤独、決心と、人間イエスの姿がありありと描かれていました。イエスさまが飲む「杯」は罪人に対する神の怒りを表わしていました。神ご自身であり、罪のない方が、全人類の罪を背負われ、その刑罰を一身に受けられるのは耐え難い苦しみだったはずです。サタンも十字架の死以外の方法で贖いの業を完成させたらどうかと耳元で囁いたでしょう。でも、祈りを通して勝利を得たイエスさまに迷いはなくなっていました。あらためて「祈り」とは一方的に自分の願い事を聞いていただくだけではなく、神の御心を求め、自分を明け渡していくことだということを学びました。今週もライブ配信の調整が滞ってしまい、お待ちいただいた方には大変ご迷惑をおかけしました。申し訳ございません。神が寛容で心強い助け手を送ってくださいましたので、次週からは大丈夫かと思います💦