一旦、デボーションは民数記からⅠテサロニケになりました。パウロの第二回宣教旅行の中で誕生した教会でしたが、ユダヤ人の迫害によってやむなく宣教が中断され、パウロはその地を離れました。その後、テモテからテサロニケ教会の信仰と愛の報告を聞いて喜ぶとともに、教会内に誤った理解があることもわかりました。「眠っている人たちについては、兄弟たち、あなたがたに知らずにいてほしくありません。あなたがたが、望みのない他の人々のように悲しまないでためです。」イエスさまは死んで墓に納められたラザロのことを「眠っている」と言われ、また「わたしはよみがえりです。いのちです。」とも言われました。この方にあって私たちにも永遠のいのちの約束があります。このようにクリスチャンにとって一番の幸いは、死の問題に対して明確な答えがあることです。目を覚ましていても眠っていても「主とともに生きる」これこそ私たちの希望であり、慰めです。