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デボーションは詩篇88篇から。この詩篇は哀調をもって語り出され、失望の告白をもって締めくくられます。その原因は重い病気だったのか、孤独だったのか…おそらくその両方だったのでしょう。そして最大の辛苦はこの苦難の中で、主までが顔を背けておられると感じることでした。そんな耐え難い苦しみの中で、作者はこう祈ります。「しかし私は、主よ、あなたに叫び求めます。朝明けに、私の祈りは御前にあります。」心がくずおれてしまいそうな中でも、作者は主に向かって叫び求めています。どんな状況の中でも、主は必ず祈りを聞き届けてくださるという確信がなければ、この言葉は出てきません。今日はある方の召天記念会がありました。彼女は重い病気と向き合う中で、イエスさまを信じる信仰を持ってくださいました。洗礼を受ける時、「今日の日を忘れません」と言われたのを思い出しました。温かな日差しが差し込む中で、天国にいる姉妹を身近に感じました。