11月第三主日、礼拝メッセージはヨブ記の本論から。ヨブの災いを聞いてお見舞いに来た三人の友人。彼らは想像を絶するヨブの苦難に声をかけることもできません。長い沈黙を破ったのはヨブの嘆きの言葉でした。自分が生まれてきたこと自体を否定するヨブ…。そんな彼に三人の友人が次々と自分の考えを話し出します。彼らの主張の根底には因果応報的な考えがありました。つまりヨブの苦しみは罪の報いだということです。ヨブはそんな彼らに自分は正しい、潔白だと主張します。かみ合わない論争がしばらく続き、最後にもう一人の友人エリフが登場してきました。彼が注目したのはヨブが神よりも自分の方を正しいとしていることでした。三人の友がヨブの苦難の原因を過去に見出そうとしているのに対し、エリフは未来の視点からその意味を弁論したのです。苦難の中にいる者に必要なのは、助言者よりも弁護者、神の約束である未来の希望を指し示す者なのでしょう。