今日の水曜祈祷会はエレミヤ書22章から。主はエレミヤをユダの王のもとに遣わして、ご自身の言葉を語れと命じました。預言者の使命は、神が語れと言われたことを語らなければならないということです。それで自分の評価が落ち、人から悪く思われても、正しいことを正しいと語れる人はいつの時代も必要です。「主はまことにこう言われる」再三語られる主のことばにも、ユダの人たちはまともに聞こうともせず、神に背を向け、ほかの神々に仕えていきました。預言者としてのエレミヤの孤独も思いますが、一方で、裁き主である神の心中もいかばかりだったかと思います。裁きが決定事項であるなら、もはや何も言う必要などないにも関わらず…厳しい言葉を語り続けるのは、民に知ってほしいという思いがあったからにほかなりません。ぶどう園の万人が「どうか、今年もう一年そのままにしておいてください…」と主人に懇願するイエスさまのたとえ話を思い出しました。