デボーションはエレミヤ書8章から。神の裁きのことばに耳を傾けない南ユダの民…。神の厳しい言葉が続きます。神は私たちが幸せに生きることを願って、日々私たちに呼びかけ導こうとしておられるのですが、私たちは間違った幸せを求め、その結果、神の呼びかけにも耳を傾けず「前進どころか後退している」とあります。さらに、自分が祈ったことがその通りにならないと『神は聞かれなかった』と判断する…。でも、それは自分が願った通りにならなかっただけで、神は確かに私たちの祈りを聞き、ご自身の御心を行われるのです。「わたしは気をつけて聞いたが…自分の悪を悔いる者は、一人もいない。」ユダの民も、今日の私たちも、その本質は同じなのかもしれません。神が注意深く聞かれるのは私たちを救いたいからです。神を自分に都合よく利用するような祈りは避けなければなりません。私たちが神の前にまずしなければならないのは、心の向きを変えることです。