9月の第四水曜祈祷会はエレミヤ書4章から。神はエレミヤを通して、神を捨て、ほかの神々に心を寄せていく背信の民に、「わたしのもとに帰れ」と繰り返し告げられました。エレミヤも祖国に対する神のさばきと審判を覚え、深い悲しみの声をあげます。ただ、破滅に次ぐ破滅が知らされる中で、その中にも、主のあわれみの約束がありました。「ただし、わたしは滅ぼし尽くしはしない。」つまり、再び主に立ち返って主の民として生きる可能性を残しておられるということです。さばきの目的は、さばきそのものではなく、民が罪を悔い改めて、主に立ち帰ることでした。時々、なぜ信じた者だけが救われて、信じない者が裁かれるのか。キリスト教は愛がない…と言われることがありますが、人間側の常識に立って聖書を読んでも、神の御心を理解するのは難しいでしょう。でも、少し見方を変えて読んでみると、あわれみ深い主のまなざしに気づかされることがあるのです。