エルサレムからエマオに向かっていた二人の弟子たちは、イエスの死を覚えつつ、悲嘆にくれていました。復活の主は、そんな彼らに近づいて声をかけられたのです。「しかし、二人の目はさえぎられていて、イエスであることが分からなかった。」主は彼らの話しをよく聞き、彼らの心の目を開いて行かれました。読んでいて目に浮かぶような描写です。私たちも受け入れ難い現実を前に、心の目が塞がれ、主の臨在や聖書の言葉が見えなくなってしまうということがあります。こんなことなら信仰者などならなければよかった…と思うことさえあるかもしれません。しかし、そんな私たちに寄り添い、心の内を燃やし、再び心の目を開いてくださるのは聖霊の働きです。聖霊の助けをもって聖書を読むなら、私たちの心は内から燃やされるのです。今日は午後からある方の引っ越しのお手伝い…。時間の関係で、夜の祈祷会はLINEのライブ配信になりました。申し訳ありませんでした。