Ⅱ列王記1:1~、アハズヤ王は屋上の欄干から落ちて重体に陥ると、使者たちをエクロンの神バアルのもとに遣わしました。人は生死の狭間に立つ時、否が応にも、この病が治るかどうかを考えずにはいられません。そこで、ますます頑な心になる人もあれば、柔らかな心になる人もいます。背信の王アハズヤは前者でした。それでも主は、預言者エリヤを通してご自身のことばを告げました。「…エクロンの神、バアル・ゼブブに伺いを立てに行くのは、イスラエルに神がいないためか。それゆえ、主はこう言われる。あなたは上ったその寝台から降りることはない。あなたは必ず死ぬ。」繰り返し告げられる主のことばにも、アハズヤに悔い改めて真の神を求める姿は見られません。主イエスが十字架にかけられた時の二人の犯罪人もそうでした。一人は最後まで主をののしり、一人は最後の最後で主への信仰を告白しました。人生の最期に何を思うか…ここが大きな分かれ目なのです。