人はみな誰でも苦しみのない、幸いな人生を送りたいと考えます。でも、どうしたらそんな人生を送れるのでしょう。その答えはそう簡単ではありません。多くの人は富や地位や名誉を得ようと努力します。あるいは、学問や才能や容姿が重要だと考えます。ただし、これらのものが人間を真に幸せにしてくれるかどうかは疑問です。幸いとは常にあこがれにしか過ぎないものなのでしょうか。イエスさまは弟子たちに向かってこう言いました。「貧しい人たちは幸いです」「今飢えている人たちは幸いです」「今泣いている人たちは幸いです」それは世の常識では考えられないことでした。今に満ち足りている人は「今」の向こうにある永遠の世界を見ようとはしないでしょう。でも、今に貧しく、今に飢え、今に泣いている人は今よりもっと高い確かなものへと視点を上げていくのです。苦しみを通してそのことに気づく人もいるなら…それは結局のところ、幸いなのかもしれません。