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Ⅰ列王記13章~、神の人が偶像礼拝を行うヤロブアムのもとに遣わされ、神の裁きを告げました。するとヤロブアムは怒り出し「彼を捕らえよ」と命じると、手がしなび、戻すことができなくなりました。すぐさま神の人に「私のために祈ってください」と懇願すると速やかな癒しを経験したのです。こうした一連の奇跡の中でも、彼の心は真の悔い改めには至りませんでした。この『悔い改める』という言葉…教会ではしばしば耳にするような気もしますが、意外とその本来の意味が忘れられやすい言葉です。それは単に反省する、後悔することではなく、心の向きを変えて神に立ち帰ることです。『放蕩息子の譬え』はまさにそのことを教えています。死の問題を自分で解決できないのと同じように、罪の問題も自分で何とかできることではありません。大事なのは「わたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます」と言われる主イエスのもとに立ち帰ることです。